愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

2021年夏

ご無沙汰です。
飽きちゃいねぇ、飽きちゃいねぇが書くことがねぇのだ。
友人と一夜限りのラジオをやろうと言われているのだけど、エピソードトークもねぇのだよ。
これは偏にコロナ禍による弊害といえよう。
すすきの刑事(デカ)と呼ばれた学生時代の先輩は、「ススキノ(風俗)は足で稼げ」と教えてくれたが、
これはエピソードトークについても同じで、ススキノもエピソードトークも足で稼がにゃならんのだ。
それがどうだ、テレワークの名のもとに立ち上げたPCでTOKYO MOTIONを開いてばかりの毎日では、エピソードなどなにもおこらんです。
1日2回のマスをかき、肴はとくにこだわらず。なんてな。
(河島英五「時代遅れ」から『一日に二杯の酒を飲み、肴はとくにこだわらず。』)
さて、そんな無為な毎日からお送りいたします近頃の出来事2本です。

①親知らずを抜いた
遡ること3年前、宮城県登米市にて親知らず抜歯に苦しめられ、2度と抜くまいと誓った親知らず。
ひどく続く頭痛が虫歯のせいかと思い駆け込んだ歯医者で、有無を言わさず決定された親知らずの抜歯。しかも2本。
仰向けになり、口が空いている状態で宣告されるもんだから、「はぁ」としか言えなかった。
コミュ障だもんで、起き上がっていても返事は一緒だったろうが。
ついでに顎関節症らしいとのこと。
そして、頭痛はおでこにブツブツとかゆみを伴って発現した。
結局帯状疱疹だったらしく、皮膚科で薬を処方してもらった。
帯状疱疹は年寄りの病気じゃねえのか?この野郎!
ストレスで出ることもある??確かに最近TOKYO MOTIONが重くなってイライラしていた。
ビンゴビンゴ。

・抜歯一本目
激痛だった。
ただし表面麻酔だけでなく注射麻酔もしてくれた分、あの時よりましだった。
泣いた。
抜歯後、抜けた親知らずを見せてくれた先生が「いりますか?」と言ってくれたが、泣きながら首を横に振った。

・抜歯二本目
激痛だった。
歯茎を切開して抜歯する分、麻酔の本数が多く、途中までは楽勝だった。
歯の根っこが神経に干渉しているらしく、最後はめちゃくちゃ痛くて泣いていた。
結局歯を割って取り出したのだが、神経に干渉している根っこはそのまま残っていて、今後の動き次第では口腔外科で手術らしい。
先生が異様に顎を押さえつけるもんだから顎関節症がひどくなった。
切開した部分が化膿し、自身の口から馬糞のにおいがする。

親知らずは残すところ一本。
もう歯医者にはいきたくない。

しかし歯医者は何故「お口開いてください」と言うんだろうな。

「開けゴマ」じゃねぇんだよ。


②ワクチンを打った
ヒモであるにも関わらず、ファイザーのワクチンを打たせていただいた。
大の注射嫌いであるから、看護師さんに訥々と恐怖を説いたのちに散々宥められたところでチクリとやられた。
後で聞いたところ、笑いものになっていたらしい。あの野郎!
副反応はほぼ出ず。(微熱、倦怠感のみ)
若い人ほど出やすいと聞いていたから高熱が出ると思っていた。帯状疱疹といい、この野郎!
これで僕はタマホームに入社できなくなった。この世から就職先が1社消えて残念だ。
これから先の僕の非常識な言動については、すべてワクチンに含まれるうんたらの影響で、5G電波に操られるからだろう。
どうかご容赦いただきたい。

はぁ、ちんぽ。

 

あの日海が見たかった

新川通を車で走ると毎回思い出す。

2009年、大学に入学した僕は入学前健康診断で前後になったZ太と出会った。
奇しくも僕が"工学部"と"法学部"の日程を間違え、文系の健康診断に紛れ込んでしまったのだった。
チェックシャツ率のあまりの少なさに驚き、聞いてた理系像と違う!とおののき、おろおろしていた僕に、

「よぉ、何学部?」

と話しかけてきたのがZ太だった。
こいつはとんでもないコミュ力お化けだ、と思ったのはこれが最初で最後で、
後から気づいたのはただ単に人との距離感を正しく測れない、真のコミュ障であるということだ。
こいつがボクサーであればジャブもストレートも必要ない。
必要なのは力石徹さながらアゴ下から突き上げるアッパーカットだけだ。
とにもかくにもこれを機に僕たちの距離が近づき、地元の話からお気に入りのAVの話まで共有したのだ。
蛇足であるが、当時僕は喘ぎ声からAV女優を当てることや、AV女優名でしりとりができるAVマイスターの資格を有していた。
かくいうZ太は、童貞ではあるが、クラスで一番のぶすに手コキはされたことがあるという、ねじれた経験をしていた。
ぶすと手コキは相性が良い。なぜならあえて喋らない(しゃぶらない)から。
こうして不健全健康診断で中を深めた僕らは、笑顔で手を振り合って解散した

ひゃあ!

 


大学生活にも落ち着いた6月某日の深夜、Z太から「海を見に行こう」と電話が来た。
いいよと答えた僕はポッケに「ハンディマップル」と書かれた地図をねじ込む。
このポケット地図は大学の入学祝にと某出版社勤めの兄貴から贈られたもので、
当時スマホもなければネット環境もなかった僕にとって、この地図は新天地の目的地までを明るく照らしてくれるナビだった。
兄貴は「弊社の売り上げにつながるから」とわざとらしく鼻の下をこすって笑いながらプレゼントをしてくれたことを覚えている。
やがてZ太は白いBianchiクロスバイクに乗ってやってきた。
今の自転車のようにハンドルにギアがついているようなものではなく、フレームにギアがついている古いモデル。
どこで買ったのと聞くと、北大生協の主催する中古セールで買ったようだった。
僕はというと、青いTREKクロスバイクでピカピカの新品だった。
とりあえず地図でも開いて道を確認しようかと、Z太がポケットから取り出した地図には「ハンディマップル」と書いてあった。
こんな偶然あるのかよと二人で笑って、とりあえず北に向かえばいいことは確認した。

えー、と、エルムトンネルを超えて北大の西側の通りを右折して、突き当りまで行けば海の付近だね。
そこまでいければ石狩らへんだもんね、海に出れるでしょ。

突き当りまでいったあと、左折すると小樽ドリームビーチ、右折すると石狩港。
ここが天国と地獄の分かれ目だった。
実は石狩の海っていうのは商船やタンカーなどが出入りする巨大な港湾が存在していて、
そうなると陸送会社や水産加工場、ガスターミナルなどが存在しているもんだから
簡易に海までアクセスすることができないのだ。
事実突き当りから右折して、海の見れる埠頭まで自転車を漕ぐとすると30分はかかるだろう。

こうした下調べなどしていない僕たちは、とにかく進もうとペダルを踏んだ。
北へ進めばいい。この曖昧な共通認識がたまらなくよかった。
どのくらいの距離で、どのくらいの時間を漕げばいいのか、海は本当にみられるのか、何もわからない。
海は目的だけど、それは行動のための仮初の指針であり、行動を目的としてとにかく息を切らすのだった。
気分は死体探しに出かけるリバーフェニックスで、ベン・E・キングのstand by meが頭の中で響いた。

その日の夜は気持ちよかった。

雲はあったんだろうが、ロングTシャツ一枚で暑くもなく寒くもなかった。
風は背中を押した。
北大の西側の片側3車線の大きな通りが、新川通だという名前だということを知ったのはずいぶん後のことだ。
とにかく、片側3車線の大きな通りは車が一台も走っておらず、延々とアスファルトがまっすぐに伸びていた。
街灯は均等に並び、まるでナビだと言わんばかりに橙色の淡い光をもって伸びたアスファルトを照射した。
背中に風を受ける僕たちは縦横にフォーメーションを変えながらいろんな話をした。
僕が何を話したかは覚えていないけれど、Z太の友達が小説家になりたいこと、自衛隊に入った友達がいいやつであること、その友達たちと自転車で遠くまで行ったことを話してくれたことを記憶している。
ガラケーでムービーも撮った。Z太が3車線を大きく蛇行しながら左手を挙げて上ずった声を出しているムービーだ。
1時間もすれば突き当りまで付いた。
なんだ近いじゃん、と浮かれた声で会話して、突き当りを右折した。
早く海をみようぜ、なんて。

楽しかったのはここまでだった。
地図を開いても海へのアクセス路は見つからず、30分ものろのろと漕いでるうちに雨が降ってきた。
僕たちは肩を落としながら、志半ばだけど帰ろうかと合意した。
本降りになる前にと勢いよく漕ぎ始めた時に、Z太は段差に躓いて転んだ。
タイヤもフレームも無事だったけど、ライトが壊れていた。

帰りの新川通はつらかった。
行きに背中に風を受けたということは、そういうことで、当然思うように進むことができない。
行きに縦横に展開した二人は、Z太のライトが壊れているからと僕が前に出て縦に走った。
強くなる雨と風、縦列では会話もできない、半分泣いていたように思う。
結局2時間以上かけて帰った。
僕たちは精一杯の笑顔でまたな、と解散した。

それからZ太とは1年以上遊ばなかった。
再開したのは2010年秋、前田ビルにて。

 

たかが札幌石狩間でクソほど辛い思いをした僕たちは、あの後それぞれに自転車で日本縦断をした。

 

今はまるで別々の道を歩んでいる。
近頃ではめっきり連絡も取らないし、年に1回会えばいいほうなのだろう。
そういえばこの話はZ太としたことがない。
別に不文律でもなんでもないけれど、車もなかった学生時代にはあれっきり新川通を通ることがなく、記憶からすっぽり抜けていただけなんだと思う。
今度あったら話してみようかな。
帰りはつらかった。
とてもつらかったんだけど、いい思い出として話してくれたらうれしいな。

車もバイクもスマホも投げ出して、遠くに行きたい。
不便って愛しいな。

 

 

銭湯に行こうよ

地獄の沙汰である。
蔓延した湯気で5m先の視界は曖昧。富士の姿も霞んで見える。
全裸で往来する爺の皮膚はひどく垂れ下がり、汗も止まらないようだ。
グツグツと音を立てて揺れる湯に浸かる爺の顔歪み、時に「うぅ~」だとか「あぁ~」だとか呻いている。
凡そ95℃の灼熱部屋から出てきたおじさんの背中には、泣く子も黙る立派な龍が舞っている。

 

てめぇこの!その一人用水風呂、いただいた!




暖簾をくぐってガラガラと引き戸を開ける。
ろくに口も利かない番頭に450円を払えばくそみたいな野球中継と極楽浄土が広がる。
サイコーサイコーこの世はサイコー死ぬまで辞められねぇ!
わーい!銭湯だ!

 

ここ1年余り銭湯にはまって、さつよく(札幌公衆浴場商業協同組合)加盟店のスタンプラリーをやっている。
年々銭湯の数は減っていき、2020年4月に全38店舗あったさつよく加盟の銭湯は2店舗が閉業。
今年度のスタンプラリー台紙は全36店舗になっていた。
銭湯の客の高齢化は進むばかりで、銭湯で見かける客はじじいかヤクザばかりなのだ。
(驚くことに学生街ですら若者を見ない!)
こうなっては銭湯文化が衰退の一途を辿ることが目に見えており、我々若い衆が支えていかねばならぬのだ。

 

だいたい、上ノ国町産のブラックシリカってなんですか!?
リウマチに効かない湯舟ってあります!?
ラドン!?超音波!?
え?混浴じゃない!?

 

こうもオカルトチックではyoutubewikipediaでほしい情報を思うままに手に入れてきた、
我々超リアル世代の心を震わせることはできないのだ。

 

まずはhotpepparに掲載するのだ。
今は食べログなんかがあるけど、雑多に情報を入手するにはまだまだ紙媒体の利便性はある。
今時銭湯に行く若者なんて、物好きしかいないわけだから事前に銭湯情報が頭に入っている。
そこでhotpepparの出番だ。
飲み会の場所決めのついでに、銭湯の情報でも入れば「たまには、」なんて気持ちにもなるだろう。
分厚い紙を片手に、昭和然とした番台の前で「hotpepparを見ました。」と叫べば、入湯料は450円から350円に割引だよ!
「え?」とか言われても、それは番頭の耳が遠いだけだからもう一度大きな声で叫べ。

 

そして内装は絵師だとか名乗る連中にやらせよう。
大体入浴中は富士の絵なんて背中にあるわけだし、SNSでバズれば何の絵でもいいんだよ。
女子風呂は刀剣乱舞。男子風呂は・・・To LOVEるがいいな!

 

ブラックシリカなんて誰も信じねぇよ。水素水で湯を沸かせ!
そして月一のイベントではAV女優を浮かべろ!
効能はEDでOK。

 

混浴は・・・犬も食わねぇ婆あすら恥じてこねぇだろ。
それより家族風呂の設置、子連れに優しいキッズ向け浴槽、シャワーの設置。

 

銭湯のテーマソングは今を時めくYOASOBIに依頼するのだが、残念ながら多くの銭湯の営業時間は22時までで夜遊びが不可能となっている。
ここはYUASOBIとしてスペシャルユニットを組んでもらい、テーマソングの「お湯をかける」を流すのだ。

 

いいでしょ。
こんな銭湯だったら行きたくなりませんか?
僕だったら絶対行きません。
どうか"古き良き"銭湯が後世まで続きますように。

音楽は魔法ですか?

落ち込んでいる
今朝の夢は相当ひどいもので、僕の口臭が"歯を磨いた80歳のおじいさんの口臭と同じ香り"と指摘されるものだった。
僕の心の柔らかいところをガシガシと踏みにじるような言葉であるが、「歯を磨いた」と冠するのは"せめて土足ではなくお靴は脱いで踏みにじりましょうね。"という意味の歪んだ優しさなのだろうか。
そういえば南三陸に赴任していたときは、70歳のモルボルおじいさんの口臭がきついと散々に嘆いたもので、あれに+10年分の酸いも甘いも上乗せてみると、
・・・ごらんよ、これが生き地獄だよ。

季節柄スッキリと晴れることは少なく、曇天や雨天が続き、しばしば吹きすさぶ寒風がそうさせたのかもしれない。
兎に角、久しぶりに落ち込んでいたのだ。


僕は音楽に救われた経験なんてない。
無論音楽は愛しているが、音楽から愛されることはなかった。
その昔付き合っていた彼女に、「自分が人を信用していないのに、信用されるわけなんてないよ」といわれたことがあった。
そうだろう。信じることが愛だとすれば、愛も同じである。
人生を捧げるほどの覚悟がない愛のくせに、求めてはいけない。
僕に救われるほどの愛がなかっただけの話だ。
たかが、愛。

それでも愛の光明は分厚い雲間からも差し込むもので、普段木曜日の朝にイヤホンから流れる山里亮太の軽妙なトークを、気まぐれに宮本浩次のデーデに差し替えてみれば不思議と涙があふれてきた。
音量は最大。あぁこれが救われるということなのかな。
どこかのアーティストたちが"音楽は魔法"だとか、そうでないだとかで揉めていたが、今朝の僕にとって音楽は紛れもない魔法だった。
例えば「いいにおいのする映画」のように、白黒の街に光をともしながら弾むように歩きたい気分だった。
そして札幌の街にしとしとと降り注ぐ雨は、奇跡的に僕だけを避け、傘をさして歩く人たちを尻目に手ぶらで歩くのだ。
今朝の30分間、僕は音楽に抱かれその心地よさに目を潤ませて感動してしまった。

事務所に入り、音楽を止めた瞬間に聞こえたのは声のでかいおじいさんが300dbで電話しているバカでかい声だった。(とにかくうるさいの意)
魔法というのは白状である。
現実に戻るためのダウンタイムを設けてほしいものだ。


電話を終えたおじいさんは「おはようございます」といい、僕も努めて快活に「おはようございます」と返す。
その瞬間思い出した、あぁこのおじいさんの口臭と同じ口臭なのかな・・・


襲い掛かるブルーにおびえ、慌てて耳に刺したイヤホンから暗黒大陸じゃがたらやらを流すが、流れ込むじゃかじゃかは先ほどのように救ってくれることはなかった。
あぁ音楽と恋人同士になれたと思ったのに、気まぐれに一度抱かれただけだったのかしら。
前述のように愛しきれなかった僕に与えてくれる愛など、まやかしに過ぎない。
かけた時間もお金も僕のほうが上。せめて、もう一度・・・
魔法よ魔法、幻を、見せて・・・

僕は落ち込んでいる。
誰か抱いてくれませんか?

 

ゴランノスポンサーの提供でお送りします。

世間はコロナだとか新内閣だとかで騒いでいる。
内閣総理大臣が変わっても日本の弱気な外交姿勢は変わらないし、結局いつまでたっても北方領土なんて戻ってこないっぴ。
何かがあれば
イカンノイヲヒョウメイシマス」

で?言葉の意味するところはわかるけれど、実態を伴っていないでしょ。
つまりこれは口上、ポーズの域をでないものであってカタカナで理解しても何の遜色もない。
子供の頃のテレビ番組では「ゴランノスポンサー」の合言葉が流れていたが、同じ同じ。
イカンノイヲヒョウメイシマス」も「ゴランノスポンサー」も同じ呪文なのである。

そしてやっぱり僕もゴリゴリの日本人のようで、極めて内向的であり、外交に至っては弱気も弱気、てんでダメなのである。
それはつまり、スガワラとのセックスのことであり、チンポがたつたたないの話ではなく、
「今晩は一つおセックスでも興じませんか?」
と一言お誘いすることができなくなっているのである。
これは偏に僕の照れが原因であって、意思は十分であるしチンポは十分に天を仰ぐことができる。そして爪だってこまめに切っている。
こうなってはもうセックスレスに一歩足を踏み入れたようなもんで、1年前まで週に2,3の頻度で行われていたおセックスが、
月に2,3、ひどいときには月に1度なのだ。
そしてそのいずれもがスガワラからの誘いによるものである。
日本性科学会によるとセックスレスの定義とは、『健康な男女で病気など特別な事情がない夫婦間で月に一度も性の営みをもたなかった場合』を指すようだ。
リ、リ、リーチ!!!!!

さてこれは由由しき問題であり、性欲とは裏腹である天邪鬼な性格をどうにかせねばと思案するも、これまた陳ねた政策を打ち出してしまった。
それはスガワラはもちろん、友人が揃う場で下ネタの話が続くときに「ウチはセックスレスだから!!」と高らかに宣言することだ。
こうすれば周囲はセックスの機会を膳立ててくれるし、スガワラにも危機感が生まれて、僕を誘ってくれる頻度が増えるというロジックである。
変わっていないのは僕だけである。
すまん、みんな。いわば君達との楽しいひと時は前戯の前戯の前戯、前前前戯なのだよ。

まぁそういうわけでセックスに関する悩みは尽きないわけで、これが男友達が3人も集まれば、セックスについてあーだこーだ語ることになるのは摂理である。

友人A(嫁、子1人)、友人B(嫁、子2人)と遊んでいたときに、Aが挿入最短記録を更新したという話をきいた。
兼ねてより挿入時の早打ちに定評があり、そのかわり前戯に命をかけているという、セミのようなセックスをするやつであることは知っていたから、大して驚くこともなかった。
なんと、3ピストンで射精したらしい。
子宮にやさしいエコチンポである。(2018年 シミケン)

それをきいてゲラゲラ笑っていたBと僕であるが、はたと己に立ち返った時に戦慄するような早漏エピソードを思い出す。
Bは挿入途中に射精したことがあるらしい。
帰りの燃料をつまないカミカゼチンポである。

片や僕はといえばコンドームを装着する刺激で射精したことがある。
その当時言い訳が大変だったことを思い出す。
「なんと誤射精!!僕の山のフドウが!」
「でもね、山のフドウはこう言ったじゃんか、『悲しみをしらぬ男に勝利はないのだ』ってね。」


ぞっとした。
僕ら4大卒の大の大人が、3人合わせても3ピストンしかできない。早漏三銃士。
そして3ピストンの内3ピストンは一人が負担している。
まさしく彼こそが早漏界の遅漏である。

昔『老婆の休日~3人で200歳~」というAVを見たことがある。
日本ではどんなAVも最低2000本は売れるというから、早漏にフィーチャーした僕らの作品も売れるのではないだろうか。
「仮面の男」でも文字って「仮性の男~3人で3ピストン~」とかどうかな?さしずめ僕はチンポディカプリオで...


早漏といえば嘲笑の対象なりやすいのだが、考えてくれ。
原始に立ち返ってみれば、敵襲や危険生物の襲来に備えて、より短時間に交尾を終えることのできる早漏という種族こそが、真のセックスエリートなのではないだろうか。
夜のベジータとして畏怖されたい。
お前ら悟空達が元気玉集めている間に僕はギャリック砲打てるから!バーカ!
「繁殖目的以外で交尾をする動物」は人間とボノボだけらしいじゃないか。
お前たちは交尾の本質をわかっていないのだよ、本質を理解すれば早漏は極めて優秀チンポであるのだ。


え?現代において繁殖目的以外の交尾は極めて重要な娯楽だって??

 

はぁ・・・遺憾の意を表明します。

憧れの職質

ご無沙汰しております。

最近は職場での暇つぶしがyoutubeになっていたために、ブログの更新を怠っておりました。ただいま自宅より更新中でございます。

お元気ですか?

僕の方はというと、アナル周りの湿りが激化している気がします。全部夏のせい。

hey siri アナルの湿りを無くして!

 

遅咲きラジオフリークである僕ですが、やっとこさ聴くラジオが固定化されました。

爆笑問題カーボーイ山里亮太の不毛な議論、佐久間宣行のANN0、オードリーのANN、空気階段の踊り場、有吉弘行のsunday night dreamerの6本でございます。

踊り場とサンドリがイチオシです。

聞いてみてね。

 

実は学生時代より職務質問をされることに憧れを抱いておりました僕は、警察官を見ては目を逸らし、小道に逃げ込むという奇行を繰り返してきました。

ですが、シティボーイ感(東京生まれ)や育ちの良さ(実家が中上流階級)が目くらましとなるのか、幸か不幸か職務質問をされることはありませんでした。流石警察官!一筋縄では行きませんね。

ところが、先日初めての「職務質問」というものをされました。

JR琴似駅前の松屋のある交差点、時刻は18:30。

助手席に友人を乗せて車で交差点を渡りきったところ、後ろから響くは東区然としたウーというパトカーのサイレン。へいこら!ここは天下の西区だぞ!

確かに交差点を渡ったときに信号待ちの先頭にいたパトカーを視認しましたが、渡ったときの信号は確かに青信号であったし、携帯もいじっていない、シートベルトもしていた。ははん、前の車が悪いことをしたのだろう。御用だ御用だ!勧善懲悪!悪霊退散!一期一会!

僕はすぐさま車を歩道に寄せ、パトカーを譲る体制をとった。ところが僕の車の後ろにつけたパトカーは、「前の車止まってください」と街中に轟かせ、僕の車を追い抜くことなく停車した。

え?セイコーマートの前で野糞未遂したのが今頃ばれた?え?整備不良???肛門の??と慌てふためく僕。

ドキドキしながら近く警察官をまつが、窓越しまできた警察官は「すみませーん、違反とかじゃないんですよ。ちょっと職務質問させていただいてよろしいですか?」と。

この時点で僕のドキドキはワクワクに変わった。一瞬でときめいてしまったのだ。

 

 

ここでなぜ僕が職務質問に憧れているか。

僕は道を逸れることもなく、いわゆるお利口さんとして真っ当に行きてきた。以前より述べていたように相変わらず”普通コンプレックス”を抱えている僕は、アウトサイダーに憧れを抱き続けているのだ。ただ、今更中身がアウトサイダーになりきれない僕は、せめて外見だけでも、とアウトサイダーという道化を演じてきていた。職務質問とはつまり、挙動の怪しい人間や見た目の不審な人間に対して行われる行為であり、これは僕にとって一流の道化として認められたことに他ならない。良い嗅覚してるじゃんか。イエィ!らぶ職務質問

by 無職(30)

 

anokonohaburashi.hatenablog.com

 

閑話休題

 

MGFというヒップホップグループの曲がガシガシ流れているジムニーから胸をはって笑顔で降車する僕。へっへっへっ!大麻やってそうだろ僕は!!

「お兄さんたち、良い人そうなのはわかるんですがね、ちょっとダボっとした服のヒップホップやってそうな人たちとか、そういう人が悪いことしてるケースも多いですからね。すみませんね、僕ら本当にたくさんの人にやってることなんで、少しだけ協力してください。」

そうだよねぇ、サイドを刈り上げて頭頂部のロン毛を括った髪型、少しオーバーサイズのパーカー、車内のヒップホップ。怪しいですよね僕って。

周りの通行人の人たちは交通違反だと思っているのか、野次馬の目を向けてきたのだが、僕は「職務質問でーーーす!良いでしょ!!!!みんなされたことある?ないよなぁ!真面目そうなツラしてるもんな!良いでしょ!!!」と叫びたい気分だった。

免許証などの身分証明書を提示し、ボディチェック。下半身をねぶるように撫で回され、不審なものがないのかを確認される。おやおや、股間についた金棒はお見逃しかい??これはただの排尿器官ではありません。夜になると凶器になるんです。

そして車内チェック。「後ろに積んだ服の山は?」ときかれ「リサイクルしようと思ったんですが、コロナの影響で引き取ってくれなかったんですぅ。」などと話す。

最後は首から下げたカバンのチェック。中に入った吸入器を目ざとく見つけ、何ですかこれは?と急に訝しげな目を向ける警察官。ここでヒェとでも言えれば一層怪しく見られることができたのだが、何分正直者の僕は、「あっ、喘息のですね」と正直に答えてしまう。

そして警察官はギロリと目を光らせ「なんかカバンの中、甘い匂いがしますね。」ときた。バカ、そりゃタバコの匂いだ。キャスターは甘い匂いなんだよ。

 

「ご協力ありがとうございました。この後も安全運転で。」

 

と発した警察官に、些か終わってしまう寂しさのようなものを感じながら別れた。「またね!」と手でも振りたい気分だったよほんと。

一つ辛かったのは「ご職業は?」の問いに二人とも「無職」だったこと。

 

 

皆さんもよかったら経験してみると良いと思います。

ま、僕くらいのアウトサイダーじゃないと無理だと思いますけどね(汗)

 

あ〜将来ラジオやるときの貴重なエピソードトーク、消費しちゃった〜

「北の国から」はドキュメンタリーではなかったのだ!!

北の国から」は共感性を試されるフィクションドラマだったのだ。

僕はDVDBOXを所持するほどの「北の国から」フリークである。
22年にも及ぶ壮大なドキュメンタリーである「北の国から」をスガワラにも目撃してほしいと、数日前から一緒に鑑賞していた。
これを「北の国から活動」、通称「北活」と称し、毎夜の如くテレビの前に座していたのだ。
展開を知っている僕は、事前にインターネットより雑学を仕入れ、実は草太のボクシングシーンは、第24回の狐のシーンは、などと答え合わせをするように観劇していたものだ。
純の特徴的なセリフ「~と思われ」は全作品でたった52回しか使われていないらしいよ。

ところが昨日、この北の国からをめぐり、スガワラと喧嘩をしてしまった。


北の国から '84 夏」では、純の過失と心情及びそれらを巡った、友人である正吉とのやり取りを中心に描かれている。
この話の中で純は、不注意により丸太小屋を焼失し、努のパソコンの本を盗もうとし、草太兄ちゃんの手作りイカダで勝手に川下りをする。
それらが父五郎にばれた時に、その一切の責任をかぶったのが正吉である。
これに対し正吉は「やっぱりおめぇはきたねぇやつだな」と純を罵る。
純は兼ねてよりの罪悪感と悔恨の情で心に大きな蟠りを残すが、詫びることもままならぬうちに正吉が家族のもとへ帰ることとなる。
見送りの駅のホームにて、

正吉「まぁ死なないで生きていてくださいよ」

純「おたくもしっかり生きていてくださいよ」

の言葉で決別した純は、目に涙を浮かべ正吉の乗った汽車を追いかけた。
その帰り、夜の富良野の街を歩く五郎、純、蛍の3人はまだ暖簾の下がったラーメン屋に入る。

「もうすぐ店閉めますんで」という店員だったが、提供されたラーメンを前に純は、滂沱の涙を浮かべて懺悔を始める。
戸惑う五郎だったが、「父さんな、」と富良野に来た時よりも活力が失われていることを白状し、純たちに申し訳ないと詫びる。
途中2度ほど店員が「早くしてもらえます?」と来るが、それでもやりとりは続いた。
最後、「1500円になります」と来た店員に、クシャクシャの千円札と100円玉五枚を渡した五郎だったが、いまだ手を付けられていない純のどんぶりを勝手に下げる店員に対し、
「子供が、まだ食ってる途中でしょうが」


火起こし、薪割りが上手になり、ランプだって積極的に磨くようになった。
失敗を繰り返して徐々に成長する純と、あまりにも不器用な五郎との血の通った会話に僕は涙を流し、エンディング後もグズグズやっていた。
ところがスガワラはそんな僕を見て「どこで(泣いたの)?」と尋ねるのだ。
「最後のラーメン屋のシーンだよ。」と答えた。
それに対し「迷惑な親子だな。再三の忠告にも関わらず出ていかないこの親子が悪い。1度目ならまだしも2度3度と忠告されていた。他でやれ。とおもった。」というのだ!!
なんということだ!僕は空いた口がふさがらなかった。
言っている意味は分かるし、店員の立場に立てばそうなのかもしれない。
ただ、論じるところはそこではないし、あの「子供が、」のシーンは言葉や感情のやり取りに箔をつけるための演出だろう!!!
昂った感情で思わずラーメンをはたき落とし、直後に悲しい顔で落ちたどんぶりの破片とラーメンを拾い集める、五郎の人間性の輪郭を際立たせる大事な大事な演出でしょうが!
と思った。思ってしまったのだ。

僕は兼ねてより「北の国からは安っぽいフィクションのお涙頂戴ドラマではないのだ、これは血肉の通った人間のやり取りをドラマ風に仕立てたドキュメンタリーであるのだ」と吹聴してきた。
ところが、演出?ドキュメンタリーに演出なんてあるはずもない!
"ドキュメンタリー"としてしっかり俯瞰で見ることができていたのは寧ろスガワラのほうであり、僕はといえば黒板家に全感情を移入して"ドラマ"として観劇していたのだ。
いつの間にか僕の心の奥底では愛すべき「北の国から」を"ドラマ"として認識し、演出が~役者が~などと不要な蘊蓄を集め始めていたのである。
ショックだった。とってもショックだった。
僕はこの作中の人間の機微を解釈して、侃侃諤諤の議論をたたかわせたいわけではなく、殊この作品においては"女の相談事"のようなもんでただただ共感してほしかっただけなのだ。

作品の見方も、感じ取り方も自由である。心底そう思う。
ただ僕はこの「北の国から」においては否定してほしくないのだ。
きっと僕はこの先スガワラと一緒に「北の国から」を見ることはできないだろう。
だって"泥のついた1万円札"のシーンは「きれいな1万円札用意して来いよ!」だと思われ、
"誠意ってなにかね?"のシーンは「てめぇんとこのカボチャ6つが誠意か?カボチャ6つなんてどうやって消費するんだ!出直してこい!!」に違いないわけで・・・