ピピーッ!オフサイド!!
すっかり令和2年である。
皆さん、今年もよろしくお願い申し上げます。
オフサイド林です。
1月、例年で言えば冬真っ只中といったところであろう。
冬は街が明るくなるし、静寂が飽和する。
外で吸うたばこはやけに美味しいし、銭湯の暖簾を出て吸うキャスターマイルドならその美味しさは7倍になる(当社比)。
闇夜に漂う白の靄は、吐く息の白さか煙の白さか。
どうにも今年は冬は来ないらしい。
札幌は昨日に30cm前後の積雪を観測したのだが、本日になって気温はプラス。
やっと積もった雪も本日中には溶けだし、また道路の路面が顔を出してきそうだ。だってほら、下手稲通りなんかはもう水溜りがギラギラの陽光を跳ね返している。
今年、除雪車は1,2度しか見ていないし、路肩に雪がたまらないものだから、最寄りの国道も道道も排雪作業は一度もしていないだろう。
そういえば今年は銭湯に一緒に行く友達もいない。
北海道に入植して早11年、今年は言いようのない寂しさを感じている。
寂しさといえば、いろいろと思うところがある。
①年齢
来月に僕は30歳になる。
人生85年。まだまだ先は長く、たった一年で大きく変わることなどなにもないのだが、10の位を一つ跨ぐことには些か寂しさを感じる。
まだセブンイレブンの年齢ボタンのチョイスに悪態をつきたい。
このまま僕は子供おじさんの青春ゾンビになっていくのであろうか。
②おじさん
甥っ子姪っ子は喃語を卒業して言葉が流暢になり、僕を「おじさん」と呼ぶようになった。
無論、立場上の「おじさん」であることには間違いはないのだが、「おじさん」に内包する"中年男性に向けて使う言葉"という意味を鑑みてみれば、僕を呼称する表現としては相応しくないと思っていた。
だってフグ田タラオは磯野カツオのことを「おじさん」とは呼ばないよね。
え、サザエさんのことはよく知らないんだけど呼ばないよね?
こういう自意識と世間(特に年下世代)とのズレが、僕を立派な子供おじさんにのし上げていく。
でもまぁきっと世間的には"中年男性向け"としてのおじさんと呼ばれる歳に一歩踏み入れたのだろう。
これから「おじさん」として歩み始めなければならないのだと、初めて知った。
僕は、おじさん。
③早漏
めちゃくちゃ早漏になった。
挿入の瞬間に射精欲が湧くこともある。
カタパルトいらず、垂直発射。
歳を重ねると、感触に慣れて遅くなる場合が多いらしいが、PC筋が衰えて射精コントロールができなくなり、早漏になる場合もあるらしい。
残念なことに後者だったのだ。
きっと僕は天性の早漏能力者であったのだが、ラグビーをやっていたことでなんとかカバーしていたのだろう。
持たざる者である僕に唯一神様が授けた才能が、早漏だなんて・・・。
ラグビー歴7年の貯金は今この年をもってして完全に失われた。
そういえば先日高校の同窓会があり、「林(僕)の記憶は、ションベンは尿道から2cm地点でトルネードしているということと、自分は早漏だと言っていたことしかない。」と言われた。
圧倒的チンポ率。僕はどんな人間だったんだ。
これに反して、大学の時はどの人との逢瀬においても早漏の思い出が全くないし、なんなら早漏の人を「オフサイド」と呼称していじめていた。
やっぱり体が鍛えられるうちに、射精コントロールができるようになっていたのだろう。
僕は今、金玉にシャワーのお湯と冷水を交互にあてる「金冷法」なるものを試している。
こうすることで刺激に慣れ、脱早漏への道が開けるらしい。
早漏読者の諸兄につきましては、その刀を一度納め、楽しみにレビューを待っていてほしい。
このブログで初めて他人のためになるかもしれない。
あと、性欲の強い早漏の需要があれば教えてほしい。
体感的にはツチノコくらいの存在確立だと思いますが。
あ、でも僕チンポデカいです^^
体感的にはツチノコくらいです。
それでは、ごきげんよう。
ポエム
自分の言葉を持っている人が好きだ。耳の上っ面を撫ぜるような優しく消えてしまう言葉ではなくて、4尺玉がドカンと打ちあがった時のような体を震わせる、肉薄した言葉。先達が作ったどんな便利な言葉よりも、感情からダイレクトに出た言葉。文法なんて目茶苦茶で構わない。それは例えば大事な人を亡くした時とか、大切だったものが消えた時とか、何かに感動した時とか、そういうときに自然に発露される言葉。これは僕が追体験することが目的なのではなくて、どこか人体実験のような冷めた目で見ていることが多い。だからよく考える。僕が死んだときに僕を大事にしてくれていたあの人は、あいつは、あの子は、どういう言葉を心の内に抱くんだろう。でも死んだら人の心の内はのぞけるんだろうか。
そんなことを考えていたら巨大な夜は形をまとって僕をズルリと飲み込んでいく。夜の真ん中で窮屈に考え続ける。
ああ、今わかったぞ。僕の感受性が乏しいのはこういう機序のせいなんだ。漫画や映画、小説を読んでもほとんど泣くことがないし、記憶することもできないのはこのせいだ。物語で展開する事象を追いかけているのではなくて、登場人物の感情と言葉を冷静沈着に観察しているのだ。結局僕には誰かに寄り添うことなんてできないのは、辛いね。
自分が今何を考えているのかを考えてみると、探検しているような気分になる。なんとも苦々しい夜の探検になったが、明日の朝にはおいしいコーヒーを淹れて、一日の予定を思い出して、ぴったりの音楽をかけて、楽しく過ごしたいな。
童貞じゃないから女の子と話せない
僕は女友達はいらない。
いや、そもそも女性と友達関係になれないことが多いのだが、それは友達になる前に「抱きたい!」が先行し、下心を見せてしまうからだ。
そして抱くためには腰に手を当ててエスプレッソのコーヒーを啜ってみたり、理解がある男のふりをしたりと、なかなかなステップを踏む必要があり、結果にコミットした時の達成感はひとしおであるものの、素の自分ではないことに疲れを感じるのだ。
あけすけな態度で接することができるのは、僕にとってほとんどが男に対してのみだし、なによりそういう瞬間が一番心から笑える。
そういうわけだから女の子と話す際には、下心を出さぬよう必死であるし、懐であったまったピンク色のハートがばれやしないか冷や冷やしているため、目を合わすこともできないのだ。
中学生の時も高校生の時も、クラスの女の子とは普通に話すことができた。
知り合いの半分は女の子であるし、セックスにあこがれすら抱かないほどきれいな童貞だったからだろう。
そして僕はスクールカーストでいうところの”ジョック”の取り巻きにあたるサイドキックに当たる位置にいたわけだ。
だって合唱祭で指揮者をやったし、体育祭ではサッカーで2点決めたし、文化祭で演じた「フル・モンティ」ではストリッパーの一人をやった。
このブログを読んでるナード(ギーク層の総称)の皆さんには申し訳ない、僕、眩しかったでしょう?
こうして順風満帆、友達たくさんの高校生活を終えた。
だけどね、そこから急転直下なんですよ。
予備校時代は勉強、大学時代は工学部&ラグビー部というダブルパンチ。
女とは無縁の生活。ナードというか、空気。
授業→部活→(筋トレ→)オナニーの毎日ですよ。
チェックのネルシャツで授業を受けて、横縞のジャージで練習して、邪な気持ちで夜な夜な自分磨きですよ。
「林さん、ちんぽの画像ください」
って言われたことあるか?
ばか、ご褒美じゃねぇよ!
言ってきたのはラグビー部の後輩部員(♂)だよ!
女とタピオカデートだなんてキラキラした大学生活なんて夢のまた夢。
こちとら効率のいいプロテイン選びのためにミーティングまでやってたんだからな。
「kentaiのホエイとクレアチン始めたら、ベンチの1RM100超えたわ。」
もはや宇宙語ですが、実際の私の学生時代のセリフです。
こんなもんだから、女性への免疫力の低下・生来の人見知りが加速して女の人とは話せなくなったのだ。
そして数少ない出会った女性を、女性性として意識してしまうことが(つまり下心)、僕をさらに奥手にさせる。
結局僕は負の螺旋階段を延々と下り続けたのだ。
1.身近に女の子がいない
2.免疫力を失う
3.女の人を性的対象としか見ることができない
4.見透かされているんじゃないのかという恐怖から話すことができなくなる
以下2~4繰り返し・・・
だったらね!特訓ですよと駆け込んだキャバクラでも散々な結果を繰り返す始末で、挙句にお金を払わないと女の人と会話ができなくなる症候群にかかる。
まぁこの病は1年あまりで治癒したのだが、結局僕の精子脳はいまだに治る兆しを見せない。
僕はこの先女の人と目を見つめあって、穢れのない微笑みを浮かべることができるのだろうか。
さ、ブログも書いたし、MDMAキメてオナニーするゾ~~!
Victory Roadをうたいたい
Hey siri !! 湿ってる??
肛門が湿っているのだ。穏やかに。
じっとりと周辺にまとった水分は、僕のアスホールに繁茂した毛によって熱帯雨林の装いを醸し、相応の湿度をもってもやもやと立ち込めている。
果たして汗なのだろうが、この夏に続く猛暑のせいではない。なぜなら冬でも湿っているから。
無論、ウン汁や腸液を疑ったこともあるのだが、その湿りを指でぬぐったところ、無色のじとりとした湿りから香るは仄かなウン臭のみだし、お尻遊びをしない僕から腸液が出る所以もない。
やはり汗である。
学生時代から発汗量が少ない僕も、アスホール周辺には無数のアポクリン線が張り巡らされ、それぞれのミニマムアスホールから汗を搾り出しているのだろう。納得。
友人たちに、さも当然かのごとく、
「いやぁ肛門周りってなんであんなに湿ってるんだろうな!うんこして綿密に拭いても全然だめだよなぁ。」
と共感を求めた僕がピエロとなったことは言うまでもない。
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ぽんぽんと沸いてくる日常のあれこれにいつも心を動かされているんだなと思った。
ブログの更新をサボっているあいだに、ライブをやった。
日給1万円のバイトを始めた。
目が真っ赤に充血して(おそらく牛からくる)ウィルス性結膜炎にもなったし、ビアガーデンにも行って、数年来の銭湯好きの友人は奥田民生の靴下をはいたまま、進学のためにフランスへ旅立った。
そして、東京に行くかもしれない、ときた。
スガワラが某有名シンガーソングライターのバックバンドを勤めるベーシストから、「ウチのバンドでたたきませんか」と声をかけられたらしい。
いいことだ、無趣味の彼女に熱中できることがあるならば、応援したい。
10年すんでいれば、札幌に住むことのメリットなんていくらでもある。
・友達がいっぱいいる。
・田舎も都会も近い。
・雪が好き。
・移動が車で出来る。
・家賃が安い。
・飯がうまい。
・土地勘がある。
・困ったときの(仕事的な)受け皿がある。
・おだやか。
多分、もっともっとあるんだろうけど、並べてみたところでやっぱり札幌が好きだと思い知る。
大学一年生、心ときめかせて移住してきた当時の僕でさえ、卒業と同時に札幌を離れるものだと思っていた。
それが10年もすむことになったのは、友達の影響だと思う。
東京に出たら友達が出来るのかなぁ。
本決まりになる前に、身近にある大事なこと、大切なこと、忘れちゃいけないことを拾っていかないとな、と思った。
例年猛暑日の続く東京、いつか移住した日には僕の肛門周りが洪水にならないことを祈って。