愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

エネマグラを通してみた光

東京に引っ越して3ヶ月。北風の思いの外寒いことや、終電が札幌市内と同じくらいの時間であること、コンビニの店員に外国人が多いことにももう慣れた。

天気がいいと富士山が見える。瓦屋根の一軒家が立ち並び、軒先にはベンツやBMWが立ち並ぶ。軽自動車は商用車以外走らない。

星が見える。星を見ると未だに茜色の夕日が流れる。他の誰でもない僕だけの東京だけど、フジファブリックの茜色の夕日だけは僕の東京に流れ込んでくる。

それは例えば鼻先を仰ぐ柔らかい光や、夕凪に飲まれて質感を失った電柱や、指先で削るアイスの霜を見た時に、僕は札幌を思い出す。

もう一度生きるにしても同じ瞬間に出会いたい。つらかったことも確かにあったけど、思い出にしてしまえばそれさえも輝く。

思えば思うほど形のない過去として置いておくことが惜しくなり、大切であればあるほど、どんな既存の言葉もそれに当て嵌めるにふさわしくないと思う。

あの日々のおかげで言える。たとえこの先いいことが何一つなかったとしても、僕の人生は最低最悪にはなり得ない。

季節が来るたびに思い出そう。喉が渇いて飲んだ水の中に、降り積もる雪の中に、あの日々が存在し続ける。

 

 

2023年12月28日の夕方。僕は札幌の友人の家にいた。セネガルで働く日本人の友達と、日本で働くハンガリー人の友達、滝川で働く包茎の友達、そして家主と僕。年末ということもあり、古い付き合いの友人たちが一堂に会することになったのだ。

 

この家に来る前、家主は電話で「ドンキホーテエネマグラを三つ買ってくるように」と僕に命じた。「?」を浮かべる僕に、「大丈夫。ローションはあるから」と伝えてくれた。ああ、僕はこの人の会話のできないところが好きだったんだよな、と思い出し、直径3cmのシリコン製エネマグラを2つ買った。ドンキホーテの18禁コーナーには男子大学生のようなグループがおり、何者かと通話しながらエネマグラを吟味する僕を見て見ぬ振りしていた。会計を済ませ、袋いらないすとSDGsに貢献し、買いたてのエネマグラをタイトなジーンズにねじ込んだのだった。

 

僕たちは皆30歳を超えてしばらく経つが、エスカレートする若者そのものだった。酒を煽り、興が乗ってきた頃に、ポーカーを始めた。金がないから賭けられるものは身体しかない、と言うのは僕だけだったのかもしれないが、無い袖は振れない。賭けを成立させるために、皆でアナルを賭けることにしたのだった。饒舌な僕たちも、無言で札を切り、無言でチップを積んだ。緊張感にゾクゾクしていた気もする。

30分もせずに僕がチップを失い、二番目にセネガルが負けた。セネガルは真面目な人間なので、大層嫌がっていたが、笑顔だった。

僕は矢庭にズボンを下ろし、四つん這いになる。家主が持ってきたローションをアナルに垂らし、そのひんやりとした感覚に「ひえ」と小さく声を漏らす。「早く早く」と叫ぶ僕の声には、恥ずかしさの他に早く新しい扉をあけたいと願う気持ちが滲んでいたと思う。そしてハンガリー人に大和魂を見せるよき機会だとも思っていた。ノンケで、尻穴の綺麗な僕たちだから、これは歴史的な瞬間だぞと、ドキュメンタリーを撮ることを滝川に依頼するのだが、ジャックダニエルの小瓶を早々に飲み干し、飲み会が始まって1時間も経たずにヘベレケになった滝川人には日本語が通じなかったようだった。彼はそばにあったシリンジで僕の体を執拗につつき回し、本当の「嫌」を「嫌よ嫌よも好きのうち」と捉えているようで、キャバクラで働く女の子の気持ちがよくわかった。ただしこいつは太客でもなんでもない、チンポの細く短い、どうしようもない泥人形だった。

セネガルは尻穴口で、エネマグラをコネくりまわし、2、3度上下に往復させたのちに力を込めて押し込んだ。

 

母さん、行って参ります。

 

そう言い残した僕は、入った瞬間に地べたに突っ伏した。暖房の入っていない床が僕の体温を奪っていくが、ただ一箇所だけはひどく熱くなっていた。

不思議な感覚だった。入りあぐねていたエネマグラも、先端が少しだけ入ったところで一気に飲み込んでいくのが理解できた。セネガルも力を入れたのは最初だけだと述べていた。直径3cmのエネマグラを入れ込んだ僕の尻穴からは、ストッパーだけが惨めに顔を出していて、僕自身はショックでうつ伏せの状態から動くことができなかった。気持ちいいという感覚はなかった。ただ、不快感が尻穴の周りにじんわりとまとわりついていた。

エネマグラを複数買ったということはそういうことで、次のゲームでは家主が早々にオールインし、飛んだ。これにはセネガルが嫌がっていたこと、来日1年目の品行方正なハンガリー人のそういう姿を見たくなかったこと、滝川の使い物にならないことが由来していると思うが、何よりも家主はずっと自分の尻穴の力を試してみたかったようだった。

家主はエネマグラ入れ子としてセネガルを指名し、ちんぐりがえしの姿勢になる。ははん、その手もあったかと内心納得しながら、動画を回し続ける。セネガルの手つきは手慣れたもので、シリコンのエネマグラは、ぬるりと尻穴の奥に隠れた。

家主は、感動して泣いていたようにも思う。若くして買った自慢の一軒家にて、初めてのエネマグラが入ったのである。当然だろう。

 

物語はこれでは終わらなかった。

僕らは男としての強さを確かめたかった。それにはチンチンの大きさなどという古来からの計りではなく、尻穴の強さという新しい計りで確かめる必要があった。なにしろチンチンの大きさでは僕が圧勝である。

入れ子セネガルが、双方の尻穴から僅かに出たくびれにスズランテープを結んだ。これで死ぬも生きるも一蓮托生である。僕らは共に外に出て、一服し、ルールを確認しあったが、単純明快すぎてタバコに火をつける前に打ち合わせは終わっていた。

簡単である、双方が反対向きに四つん這いになり、よーいどんの合図で頭の方向にハイハイする。先に抜けた方が負け。

僕らは尻のほっぺをくっつけ、スタンバイした。十年来の親友の尻の柔らかいことを初めて知った。

 

よーい、どん

 

セネガルがよーいどんと手刀で作った軍配を天に向ける。

僕たちは四つん這いのまま前に歩んだ。ノロマと言われても構わない。兎と亀では愚直に突き進んだ亀が勝ったんだ。そう思いながら前へ前へと歩みを進めた。

 

アッ!!!!

 

刹那、チカっと目の前に閃光が走る。尻穴に僅かな違和感を残し、エネマグラが抜けたのだった。床に転がった半透明のエネマグラは、ぬらりと光ってこちらを見つめていた。空になった僕の尻穴をエネマグラが嘲笑っていた。そうか、負けたのか。

負けたことに気づいた僕は、慌ててエネマグラを拾って尻穴に突っ込んだ。尻穴もエネマグラの形を覚えていたみたいだった。労せずして入れ込むことができた。

「頼むもう一回」とエネマグラを突っ込んだまま土下座する僕に、立ったまま「いいよ」と答える家主。愚直さだけが男ではない。もう昭和は終わり、平成を跨いで令和なのだ。策を弄し、それで勝とうと考えたのだった。

再びスタートラインに四つん這う僕たち。よーいどんの声をかけるセネガル。ひいているハンガリー。潰れた滝川。

 

とにかく粘って相手が無防備になったところにカウンターを決めようと思った。先程と同じように歩みを進めるが、尻穴に張力を感じた時に、グッと尻に力を入れて歩みを止めた。家主は変わらず進もうとするが、攻撃ばかりでは守りが疎かになることは、どのスポーツでも共通だろう。錨のようにその場に留まる僕。カウンターを食らって面食らう家主。

尻穴に感じるテンションが緩み、家主が後退してくることを感じた僕は更に前進し、もう一撃当てるつもりだった。しかし、その瞬間家主は再び前進を始めた。

クロスカウンターだった。

前進同士では分が悪いことは自明だった。床に転がる僕の一部を切なく見つめた。力でも頭でも負けた瞬間だった。

 

落ち込みながらエネマグラを洗う。そこに家主が自分のエネマグラを持って来た。

家主のエネマグラにはうんこのカスが付着していた。

負けたのが僕で良かったなと思う。