愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

ポエム

自分の言葉を持っている人が好きだ。耳の上っ面を撫ぜるような優しく消えてしまう言葉ではなくて、4尺玉がドカンと打ちあがった時のような体を震わせる、肉薄した言葉。先達が作ったどんな便利な言葉よりも、感情からダイレクトに出た言葉。文法なんて目茶苦茶で構わない。それは例えば大事な人を亡くした時とか、大切だったものが消えた時とか、何かに感動した時とか、そういうときに自然に発露される言葉。これは僕が追体験することが目的なのではなくて、どこか人体実験のような冷めた目で見ていることが多い。だからよく考える。僕が死んだときに僕を大事にしてくれていたあの人は、あいつは、あの子は、どういう言葉を心の内に抱くんだろう。でも死んだら人の心の内はのぞけるんだろうか。

そんなことを考えていたら巨大な夜は形をまとって僕をズルリと飲み込んでいく。夜の真ん中で窮屈に考え続ける。

ああ、今わかったぞ。僕の感受性が乏しいのはこういう機序のせいなんだ。漫画や映画、小説を読んでもほとんど泣くことがないし、記憶することもできないのはこのせいだ。物語で展開する事象を追いかけているのではなくて、登場人物の感情と言葉を冷静沈着に観察しているのだ。結局僕には誰かに寄り添うことなんてできないのは、辛いね。

自分が今何を考えているのかを考えてみると、探検しているような気分になる。なんとも苦々しい夜の探検になったが、明日の朝にはおいしいコーヒーを淹れて、一日の予定を思い出して、ぴったりの音楽をかけて、楽しく過ごしたいな。