愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

「北の国から」はドキュメンタリーではなかったのだ!!

北の国から」は共感性を試されるフィクションドラマだったのだ。

僕はDVDBOXを所持するほどの「北の国から」フリークである。
22年にも及ぶ壮大なドキュメンタリーである「北の国から」をスガワラにも目撃してほしいと、数日前から一緒に鑑賞していた。
これを「北の国から活動」、通称「北活」と称し、毎夜の如くテレビの前に座していたのだ。
展開を知っている僕は、事前にインターネットより雑学を仕入れ、実は草太のボクシングシーンは、第24回の狐のシーンは、などと答え合わせをするように観劇していたものだ。
純の特徴的なセリフ「~と思われ」は全作品でたった52回しか使われていないらしいよ。

ところが昨日、この北の国からをめぐり、スガワラと喧嘩をしてしまった。


北の国から '84 夏」では、純の過失と心情及びそれらを巡った、友人である正吉とのやり取りを中心に描かれている。
この話の中で純は、不注意により丸太小屋を焼失し、努のパソコンの本を盗もうとし、草太兄ちゃんの手作りイカダで勝手に川下りをする。
それらが父五郎にばれた時に、その一切の責任をかぶったのが正吉である。
これに対し正吉は「やっぱりおめぇはきたねぇやつだな」と純を罵る。
純は兼ねてよりの罪悪感と悔恨の情で心に大きな蟠りを残すが、詫びることもままならぬうちに正吉が家族のもとへ帰ることとなる。
見送りの駅のホームにて、

正吉「まぁ死なないで生きていてくださいよ」

純「おたくもしっかり生きていてくださいよ」

の言葉で決別した純は、目に涙を浮かべ正吉の乗った汽車を追いかけた。
その帰り、夜の富良野の街を歩く五郎、純、蛍の3人はまだ暖簾の下がったラーメン屋に入る。

「もうすぐ店閉めますんで」という店員だったが、提供されたラーメンを前に純は、滂沱の涙を浮かべて懺悔を始める。
戸惑う五郎だったが、「父さんな、」と富良野に来た時よりも活力が失われていることを白状し、純たちに申し訳ないと詫びる。
途中2度ほど店員が「早くしてもらえます?」と来るが、それでもやりとりは続いた。
最後、「1500円になります」と来た店員に、クシャクシャの千円札と100円玉五枚を渡した五郎だったが、いまだ手を付けられていない純のどんぶりを勝手に下げる店員に対し、
「子供が、まだ食ってる途中でしょうが」


火起こし、薪割りが上手になり、ランプだって積極的に磨くようになった。
失敗を繰り返して徐々に成長する純と、あまりにも不器用な五郎との血の通った会話に僕は涙を流し、エンディング後もグズグズやっていた。
ところがスガワラはそんな僕を見て「どこで(泣いたの)?」と尋ねるのだ。
「最後のラーメン屋のシーンだよ。」と答えた。
それに対し「迷惑な親子だな。再三の忠告にも関わらず出ていかないこの親子が悪い。1度目ならまだしも2度3度と忠告されていた。他でやれ。とおもった。」というのだ!!
なんということだ!僕は空いた口がふさがらなかった。
言っている意味は分かるし、店員の立場に立てばそうなのかもしれない。
ただ、論じるところはそこではないし、あの「子供が、」のシーンは言葉や感情のやり取りに箔をつけるための演出だろう!!!
昂った感情で思わずラーメンをはたき落とし、直後に悲しい顔で落ちたどんぶりの破片とラーメンを拾い集める、五郎の人間性の輪郭を際立たせる大事な大事な演出でしょうが!
と思った。思ってしまったのだ。

僕は兼ねてより「北の国からは安っぽいフィクションのお涙頂戴ドラマではないのだ、これは血肉の通った人間のやり取りをドラマ風に仕立てたドキュメンタリーであるのだ」と吹聴してきた。
ところが、演出?ドキュメンタリーに演出なんてあるはずもない!
"ドキュメンタリー"としてしっかり俯瞰で見ることができていたのは寧ろスガワラのほうであり、僕はといえば黒板家に全感情を移入して"ドラマ"として観劇していたのだ。
いつの間にか僕の心の奥底では愛すべき「北の国から」を"ドラマ"として認識し、演出が~役者が~などと不要な蘊蓄を集め始めていたのである。
ショックだった。とってもショックだった。
僕はこの作中の人間の機微を解釈して、侃侃諤諤の議論をたたかわせたいわけではなく、殊この作品においては"女の相談事"のようなもんでただただ共感してほしかっただけなのだ。

作品の見方も、感じ取り方も自由である。心底そう思う。
ただ僕はこの「北の国から」においては否定してほしくないのだ。
きっと僕はこの先スガワラと一緒に「北の国から」を見ることはできないだろう。
だって"泥のついた1万円札"のシーンは「きれいな1万円札用意して来いよ!」だと思われ、
"誠意ってなにかね?"のシーンは「てめぇんとこのカボチャ6つが誠意か?カボチャ6つなんてどうやって消費するんだ!出直してこい!!」に違いないわけで・・・