愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

なやみ

どうやったって歌詞が書けなくて思い悩んでいる。
味噌も糞もない交ぜにしたようなコトバの切れ端だけがメモ帳に積み重なっていき、一向に文章にすることができない。

これって別に今に始まったことじゃなくてさ、昔っから真理だったり心情だったりを語ろうとしてもどうにもうまくいかなくって、最終的に針の穴に入らないんだよ。 結び目でけぇし、穴見失うし。
で、どうにもならない悔しさや中途半端なこっぱずかしさを背景に、表現することから逃げた結果が積みあがった下ネタの歌詞の山々。
僕の曲は5000回洗濯して工事現場で歌っているB-DASHとして聞いてくれて構わない。 
別にリズムに乗せるだけなら簡単なんだけども。

それがさ、あらゆる制限の中で意味と説得力を持たせることが究極に難しい。
文章とか歌詞とかってさ、河原に散らばった小石を高く積み上げるようなもんで、無作為に手にとった石では土台ごと倒れてしまうんだよ。
この石の形なら次はこの石が乗る、という風に慎重に、慎重に選んで組み立てないと、目指した高さには到達できない。
だけど僕には適切な石が見つかんねぇ。どれを選んでもぶっ倒れてしまう。
それでも最近はね、語彙力を超えた感情は他人のちょうどいい石を借りてくるんじゃなくて、自分の手持ちの石の重心を考えながらどうにかこうにかこねくり回してやるんだとやっと気づいた。やり方はいくらだってあるのだ!!

いや、そもそもが歌詞って聴き取り手に委ねるところが多分にあって、その解釈は様々だから結果的に作り手の自己満足になりがちなのは承知だよ。
特に音源のないバンドの曲なんかは、ライブハウスだけじゃせっかく作った歌詞も何言ってるかわかんないもん。
だから伝えることを諦めましょうってんじゃなくてさ。
自分が満足いくような歌詞が書けたならば、万に一つでも伝わる可能性にかけて歌ってもいいじゃんって話だよ。
札幌のライブハウスでやってるバンドに生涯通算万人の客がつくかどうかは考えないでくれ。
ただ、どこか自信のあるバンドや楽しそうで一生懸命なバンドってのは技術の巧拙を抜きにしてかっこよく見えるもんだよね。ちんぽまんこセックスなんて歌うより、真夜中のスーパーフリークってかっこよく言えた方が楽しく歌えるもん絶対。
だから歌詞を妥協する理由なんてない。 
バンドマンってすげぇよ、良かれ悪かれ、こういうあれこれを乗り越えて曲作るんでしょ?楽器もうまくて歌もうまくて歌詞も曲もつくれて?ひぇーーーきっつーーー
表現とたたかえるひとって、かっこいいな。

結局のところ文章も同じ話でさ、本当に思うところは妥協してはいけないのですよ。
で、今まで町田康やら太宰やら夏目漱石やらあれやこれやの皮かぶりながら、茶化して色々書いてきたんだけどね、これからは誤魔化したり背伸びしたりしないで、身の丈で物を綴ることがあってもいいのではないかと思う。
だからこれが第一歩。令和を前にしてひと皮むけるの。包茎だし。
もちろん今までのバカみたいなものは継続的にやっていくよ。
そっちの方が需要があるだろうし、何より自分で読み返しててめっちゃ面白いのとかあるしな。
多分僕が一番僕のファンだよ。
ドッキリドッキリどんどん!!!不思議な力が沸いたらどーしよ!!