愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

特殊性癖との向きあいかた

「申し訳ありません。18歳未満のお客様にはうれません」

 

これは僕が中学生の時にTSUTAYAで「ふたりエッチ」を買おうとしたときに実際に言われた言葉だ。

 

なぁにが18歳未満のお客様には売れませんだ!!!!

以来僕のおかずは7割以上AVだよ。

おかげで頭の中で女優の裸を想像してティッシュを散らすことも、グラビアを電球に透かして見て部屋を栗の花の香りにすることも、えっち本をこそこそ買いに行くこともしなくなったわ。

ふざけんな!!!!死!!!

 

18歳未満にエロ本売らないやつとかやめませんか?インターネットに無料の動画が蔓延している今、どうやったって色欲色狂い小中高生はエロコンテンツにたどり着いてしまうのだよ。あーゆーあんだすたん??

僕だってwinMXでよくわかんねぇ洋物無修正大量にDLしてたし、白人スキンヘッドがまんこに頭出し入れしている動画見てたよ。

そしてAVの知識ばかりが肥大した僕たちはガチャガチャ手マン族やジャンクセックス族になって、彼女らの集団に陰ながらポアされてしまうのだ。(さすがに頭は入れなかった)

汎用性のある前戯などを教えてくれ。

最適解は僕ら二人だけの世界で夜よどうか明けないでと祈りながら探す。

そういった意味で「ふたりエッチ」は様々なアンケートを乗せており、学びながら色欲を満たせた良著だったのによ。

 

そしてインターネットが普及しすぎて、せっかくのアンケートかっとばしてより刺激の強いエロ動画によだれ垂らしてくいついてしまうのだよ。終わった後の肉体はもはや概念になっているので使い物にならないし。

だからね、公共事業として週1回程度「ふたりエッチ」を河川敷に捨てる職員を雇い、年齢確認なしのエロ本自販機を設置しようではないか。

それがだめなら「ちゃお」とか「コロコロコミック」に正しいセックスを載せておけ。「anan」にセックス特集があっても、ありゃ顔にニキビのついた童貞中学生は手に取らねぇから無駄だ。

これで万事おっけい。

 

ある程度の汎用的知識は手に入れたところで、あとは特殊性癖との向き合い方。

これは少し厄介だし、僕自身法に抵触する特殊性癖はもっていないので、大枠だけ考えてみた。いや、元彼女に自分のかけていた眼鏡をかけさせて、お兄ちゃんと呼ばせながらピストンしていた話は許されるだろ。はまんなかったから3回しかやっていないし。

 

新しい性教育の方法はこれ。

 

学校の保険の時間は性癖ごとにクラス分けして授業をする。

 

盗撮、小児性愛、痴漢、強姦これらはやったらだめです!!

 

あ?ダメだぁ?ダメなのはわかったうえでやっているから再犯率だって高いんだろうが。

どれもクソ最悪でやってはいけないことだけど、そういった社会的道義に背いている背徳心が生む快楽と理性の狭間におぼれているやつだっているだろうよ。

ふつふつと湧き上がってくる触りたい・・・を、やったらダメ!で抑え切れなかったから再犯すんだよ。

いいか、やつらの性癖のほとんどは恐らく先天的なものだ。道義から説いて抑えつける対症療法よりも芽が小さいうちにしっかり摘み取ったり、花が咲かない方法を、根治療法を真剣に教育してやるべきだろう。

 

講師は以下の通りだ。

代ゼミの7兆倍すごい最高の講師陣をそろえた!

盗撮は田代まさし先生

小児性愛板尾創路先生

露出癖は草彅剛先生

強姦は高畠裕太先生

なんだこれ楽しそうだな・・・

 

 

 

別に特殊性癖野郎たちを擁護したり肯定しているわけではないからな。犯罪者は死んでくれ!!!!りょうちゃん!!!

 

と、僕は思いましたよ。

2012年夏左利きの女の子

せっかく友人のいないはてなブログに来たのだから書いてしまえと思い立ち書きなぐる。おふざけなしに気持ち悪い過去のことを書いているので読まなくてもいいですよ。
 
順風満帆に元気の押し売りをしていた僕の持ち前の元気に陰りが見えたのは2012年の夏のこと。バイト先の4歳下の黒髪ボブで左利きの女の子を本気で好きになってから。トトロみたいに歯をかみ合わせたままニッと口角を上げて笑う笑い方が好きでいつのまにか完全に惚れていた。へーバンドやってるんだ、なんていうバンドなの。とかなんとか会話を紡ぎながらやっとデートにこぎつけて夏の日にバイクで藻岩山に登って告白、手をつないでバイクまで戻って僕のアパートに帰る。私でいいんですかという彼女はホントは一人称は自分の名前だし、手をつなぐことが好きではなかったことも、当時18歳にして経験人数が10人を超えていたことも全く知らなかった。家に着いたら、タバコ吸っていいですか。と聞かれていいよと答えた。僕は喫煙者ではなかったから蚊取り線香の皿を渡してあげた。ベランダを向いて家の前の公園をボーっと見つめながら、以前拾ってきたオフィスチェアに体育座りしてタバコを吸っていた。キャスターマイルドというタバコはバニラの香りを以て部屋に立ち込めた。あの匂いが大好きだったし、左利きの女の子がタバコを吸う姿が好きだった。それがすべての始まりだったのだけど。
バンドマンは男が多いコミュニティだったけど、元々束縛しないタイプだからアパートに来ない日が続いても放任していた。今日あそぼうよ、今日は無理だよとか今から行くね、なんて、アポを取るためのメールはよくしていたけど、雑談のメールはしない(こない)のでどこでなにをしているのかがわからなかった。僕が束縛しなくなったのはやはり苦い思い出なのだが中学の時にあまりにも重すぎることが理由でフラれたから。だからホントはもっとしつこく誘いたかったけどもその時には既に左利きの女の子がフワフワしていて握られることを嫌う羽のような人だということが分かっていたから、とりあえずいつアポなしで来てもいいように電気はつけてアパートの鍵もあけて落書帳に書置きして灰皿はきれいにしておいた。それから生理の時のためにロキソニンを大量にかっておいてあった。ごめんね、ごはんだけはつくれなかった。だから一緒に寝た次の日の朝は、寝起きの悪い左利きの女の子をおこさないようにそっと出て近くのパン屋にサンドイッチを買いに行っていたのだ。
バンドの練習を昼にしてバイトを夜勤にするとその両方に近い僕のアパートには寝に来るだけというようなことがたくさんあって、やっぱりそのたびにセックスをしていたらある日ドロドロに酔った日にどうせやりたいだけなんだろと言われて涙が出た。なんて返したかは覚えていないけど、結局月並みなことしか言えなくて左利きの女の子の胸には届かなかったんだろう。そのころからフラれる予感におびえてお酒を飲むたびに泣いていたし、そばにいない時でも寂しくないように僕もキャスターマイルドを吸うようになった。匂いはするのに抱きしめることができなくて余計寂しくなった。
3月26日のAM2時に僕のアパートに突然やってきて、寝ていた僕のベッドに両腕を乗せて指先を組んで手の甲の上に顎を乗せて僕の顔をじっと見つめていた。その時もいつくるかなと緊張していたから、ドアノブをひねる音で目が覚めたのだけれど少し寝たふりをしていた。顔を見つめているのはわかっていたのだけれど、こらえきれずに笑ってしまったら左利きの女の子もトトロの笑顔でニッと音を立てずに笑った。そこで初めて顔を見てみたら悲しい目をしていた。とっさに一緒に寝よといってみたけど、左利きの女の子は別れよといった。間に合わなかった。どうしてときいたら、はやしくんのこと大切にしたいと思うほど好きではなくなったと言われた。僕はいやだいやだと大泣きをしたけど、じっと僕の手を握る左利きの女の子は悲しい目をしたままだった。
最後にお別れのハグをしたときに堰を切ったように泣き始めた左利きの女の子は振り向かないで玄関を出て行った。最近読んだブログの言葉を勝手に引用してしまうけど、一生懸命な僕と左利きの女の子ではやっていけなかった。勝手に永遠をささげた僕はいつのまにか自爆していたのかもしれない。
ある日のはやしくんダメになっちゃいそうだようというメールを皮切りにしばらくは定期的に会ってセックスはしていたのだけれど、結局またやりなおしたいの僕の言葉にセックスってなんとなく愛っぽい行為だからダメなんだよ。はやしくんはいい子なんだから別な人を見つけな、バンドマンはやめたほうがいい。といって左利きの女の子は東京に行ってしまった。僕はそのなんとなく愛っぽいものを感じれるからせめて会っている間だけはと思っていたのに。
2年後に千葉の実家に帰った時に左利きの女の子と一緒に飲んだ。彼氏ができたみたいだからセックスはしなかった。僕と別れた後に、バイト先で僕も左利きの女の子も仲良かった人と一度セックスをしたと言われたときに、どういう気持ちでいればいいのかわからなくなって、べろべろに酔っぱらって阿佐ヶ谷の駅で寝た。しかもさ、そのまたしばらくあとに飲みに誘われたときに、ハッピーハッピーで飲みに向かったのにその男もいて、僕だけめちゃくちゃ暗い気分で飲んだこともある。性病になったと聞かされて、一万円を渡して走って帰ったことも全部昔の話なのに全然忘れたくない。
東京に行ってから一度新曲を聞いてと送ってくれたことがあって、毎日聞くよと岩井俊二花とアリスみたいな答えをしたことがある。いまはもう毎日聞くことはないけれど付き合っていたときから6年たった今も未だに僕はキャスターマイルドを吸っているし、何度か彼女もできたけど一番会いたいのはいつだって左利きの女の子。でもやっぱり左利きの女の子が吸っていた時のあのタバコの匂いが好きだな~

最後にウンチを漏らしたのはいつですか?

あ、やばっ!!!漏れる!!

 

そんな経験が皆さんにもおありではないでしょうか。
それにしたって、すべてを受入れ、全身の筋肉を弛緩させたときの全能感と恍惚は性行為におけるオーガズムにも勝るとも劣りませんよね。
ワタクシも随分と堅牢な菊門と、前方に伸びる強硬な砲門を所持していると自負しておりますが、大学浪人時代に1回クソを漏らし、おしっこであれば大学時代に2,3度シラフでおねしょをしております。
無論「おならかとおもったら水うんちだった」といったシュレディンガーのうんちタイプの糞漏らしなら、この年になっても数回/年といったペースで元気にやっております。
こんにちは、28歳サラリーマンです。

 

実は浪人時代の糞漏らしというのも、参考記録であります。
これがどういうことかといいますと、半分漏らしつつ、半分漏らしていないということなのです。
え?まだわからない?
わかりました、拙文ながら説明致しましょう。



時は2009年。
あと3,4日で19歳を迎えようかという、18歳の冬のことでした。
早稲田大学創造理工学部を受験すべく、なんとかというキャンパスにて机を見つめながら鉛筆を転がしていました。
1教科目の試験はあと10分で始まろうかという時に、徐々に便意の高まりを感じていたのですが、試験開始に間に合わんと思い余裕余裕と押し殺していたのです。
そういえば、毎朝の便意の周期でいけばちょうどこの時刻だなと思いました。
周期が乱れることもなく毎朝同時刻にやってくる便意は、便意不順である人もいるということにも、いささかの疑問を抱かせるほどでした。
加えて、便意痛もなく重いか軽いかで言えば、するりと出るワタクシは軽い方でした。
高まる便意を感じつつも90分をやりすごし、なんなく1教科目を終えてトイレに走りましたが、そこにはチェック柄のシャツがトイレからはみ出るほどの長蛇の列をなしているではありませんか。
理系学生といえば8~9割が男でありますので、小便器、大便器ともに人がごった返すのです。
あまりの列の長さに、校舎内のアナウンスで2教科目の開始時間を遅らせる旨通知されましたので、ほっと一安心。あとはこみ上げる便欲との一騎打ちでございます。
そして前方の数名に置かれましてもケツを抑えている始末でございますから、「漏れそうでありますから、最前を譲ってはいただけませんか?」とも聞くことができず、ワタクシはeastern youthのライブを見ているときのように拳を握りしめておりました。

moudameda

またこの時すでに両の足を踏みをやめ、ただひたすらに括約筋に全神経をやり、遠いまなざしで虚空を見つめていたかと思いますが、ノロノロリとわずかながら進む列に一縷の望みを抱いておりました。
前方でケツを抑えた数名も未だ脂汗をかいており、戦友たちのその汗がいつか冷や汗に変わることのなきよう祈っていたのです。
ややもすると、トイレの入り口の前につきました。
あと、少し。
ワタクシの中の山田勝巳は必死に反り立壁に両指をかけております。
登るが先か、タイムアップが先か。

moumurida


そうこうしているうちに、いよいよトイレへの入場。
すり足で入場する様は忍者といったところでしょうか。
パンパカパーン!
頭の中で鳴り響くファンファーレ、ツンッと鼻を突くにおいがくせぇ。

 

ふぎょぎょっっっ!!!!くせぇっっっ!!
kuwa

 

と思うのも束の間。
臭いの刺激で半分だけ出てしまったのであります。
口角をだらしなく上げることもせずに、何食わぬ顔を装い、目だけを極限まで開きながら。
そうはいってもおそらく敵は一本グソ、半分出て半分中にある状況はさながら綱引き。
出てしまったものはしょうがない、目下の課題はこの半分、茶色い状態のままいかに引き分けに持ち込むかであるかなのです。
読者諸兄はご存じでしょうが、糞たるもの通常であれば出るか出ないかの二択であり、出るときはズルりと一気に生れ落ちてしまうことが常です。
そのためこの状況は極めて稀であり、恥辱にさらされる危機に生まれた強靭な精神力を以てして初めてなせるワザなのであります。
このミラクルに、現代であれば写真でも撮ってInstagramにでも投稿していたでしょう。

iikimochi


そして、そうこう考えるうちにぞろぞろと列は進み、ワタクシは例によってすり足で個室に入ることに成功したのでした。
あとは半分出ているモノを折らぬようパンツをずり下げ、もりもり用を足し、すっきりした面持ちで個室をでました。
良いうんちだったのが幸いしてか、パンツにシミがつくことなどのハプニングはなく、しっかり再利用していることなど誰も気づかなかったでしょう。
晴れやかな気分なワタクシは、未だ個室に行列を作る虚無の瞳をした民たち一人一人と握手を交わし、背中をポンと叩きながら「次の物理もがんばろうな!」と言いたいところでしたが、
カラスの子育て期よりも気性の荒らそうな、"クソを漏らしそうな受験生"を煽っては命の保証がなかったため、やめることにいたしました。背中を叩いたらでそうだったしな。うける。

 

そうして、無事引き分けに持ち込んだのですが、しっかりと2月末に合格通知も届きました。
すごくないですか?



と、ここまでがワタクシが糞を漏らした最後の記憶でございます。
これを機にトイレの混雑が予想される時には、予めおむつを履くとよい。という教訓を得、これまでに幾たびも実践してまいりました。
実はいいことが他にもあり、
〇かすかに感じる性的快感
〇ばれてはいけないという背徳心
〇大事な話をしているのであれば中座せずに済む
といった利点もございます。
よく、看護学生等の実習?でおむつをしたまま排尿するといったものがあり、なかなかできるもんではない。といった声がありますが、ありゃ嘘です。
そういった魑魅の声に耳を貸してはなりません。

 

名古屋駅でやったときが一番刺激的だったかな。

 

ふぎょぎょっ!

 

人妻に恋をさせた

夏休みのキッズの皆さん、お元気でしょうか。
私はといえば、ギンギンと照り付ける太陽に嫌気がさし、ガンガンにクーラーの効いた部屋にてグングン起き上がる息子を片手にスマホをポチポチやっていると、突如として響く壁のゴンゴン。
スマン、喘ぎ声がデカすぎた。
ギャンギャン泣き叫ぶスマホの音量を下げたところで、ガンガングイグイズンズン上昇していた我が息子は、忽ちに勢いを失って(亀)頭をもたげてしまった。
そんな夜もある。


さて、私はすぐに恋してしまう危険な男である。
1度目が合えば頬を赤らめ
2度目が合えばすっかり惚れ
3度目が合えばネットストーキングを始める
マイルドなメデューサ

ところが昨日は危険な恋をさせてしまうところだった。
いつもの如く昼飯を買いにセブンイレブンに立ち寄った時のことである。
蒙古タンメンとおむすびとアイスコーヒーをレジに持ちより、会計を始める。
蒙古タンメンうまいな!びっくり!)
向き合うは、齢35くらいであろうかと推察される美人な女性店員。
商品をさばく店員さんの左手の薬指にキラリと光る指輪。
おほほ!人妻!!エロ!
といった気配は心の内に黙殺し、いつもの如くやや俯き、印籠のようにカードを突き出したらば「nanacoでおねがいしゃす。」と呟やく。
おや、残高が不足しているとみて1万円札をソッとカウンターにおいてチャージを依頼し、ピッの音とともに買い物完了。
捨て台詞として右手を突き付けて左右にブンブン降りながら「レシートいらないす。」
会計を終えたワタクシは、カウンターに置かれたビニルをかっさらって出口に向き直り、足早に去ろうとする。
歩みを3歩進めたところで、後ろから聞こえる「お客様!」

はははははぁ~ん!ワタクシに惚れたか!惚れたのか!!
LINEでも電話番号でも聞こうっちゅう魂胆なのね。
お生憎様。ワタクシは既に人のもの。
ピッピよろしく指を振って、
チッチッチッチッと断ろうかとも考える。
しかしワタクシとて、公衆の面前でそのような恥ずかしい思いをさせるほど野暮な人間ではない。

ここはひとつ、レジのカウンター越しに唇を奪ってやるのがよろしいか。
あご先を掴んでグイっと引き寄せ、
「これがケジメです、指輪が取れた時にもう一度声をかけてください。」
そして左手の中指と人差し指を立てて、おでこからポイっとして去る。
アディオス。

いやいや、ここは「麗しき人妻がワタクシに何の用か。おやおや?恋心を渡し忘れたというのかい?」
と思案を巡らすのも束の間。

歩みをレジに戻せば、

「お支払いをお忘れですよ」

ナナコはチャージと支払いは別々に行わなければならない。つまりこの場合はピッという工程を二度踏まなければならなかったのだが...忘れていたのは恋心ではなく、お支払いだった。
勇ましく上げた顔を再び地面に向け、
いそいそと支払いを済ませて立ち去るのだった。
また行くけど。

ワタクシ、夏休みをとります。しばらくブログとはおさらばよ!
良い夏を!

台風13号が来るよ~

※本稿は8/7に書いたものである
 
8月8日(水)パパの日の夜、俺は仙台から新千歳へひとっとび。
今年で20年目の「Rising Sun Rock Festival」という野外フェスに参加することが決定しているためだ。
皆さん!惜しい!今回は出演ではない!
なぁにがライジングサンだ!毎年のように雨降りやがって!!!

 

唯一の懸念は南方から迫りくる台風13号
仙台は8/8遅くに暴風域に入り、フライトの欠航が予想される。
おのれ・・・台風13号・・・いや、・・・"サンサン"

 

知っていましたか?
台風には毎号「台風委員会」という、80年代ポップスバンドっぽい謎の国際組織により名前が付けられているのです。
して、今回は香港命名の「サンサン」ってわけ。
ちなみに「サンサン」は「陽陽」と書くらしく・・・
え、台風って何か知ってる?
なんたる皮肉、最悪のネーミングセンスだな。
上野動物園のパンダ感覚で名前つけんなよ

 

ライジングサンに行くみんなすまん、僕は渇水に悩む早明浦ダムに雨を降らせた男だ。
自転車で日本縦断した時は7割近くが雨だった。
無論、修学旅行も雨、遠足も雨、今年のジョインアライブも雨。
このままだと、僕はサンサンを引き連れて上陸することになる。
だがしかし、明日搭乗予定の飛行機が欠航になれば、サンサンは大きく太平洋側にそれるか、そのまま温帯低気圧に変わる。
サンサンは俺が食い止める。
待ってろサンサン。

8/7雑記

バチンッとはじけた音とともに、ピックではじく感覚を失ったときに、1弦が切れたことを認識した。
チョーキングしていた左手は行き場を失って宙をぶらついていた。

 

まったく野球というものはいつ見ても「ここは1点欲しいところですね」「まずは1点欲しいところですね」「もう1点欲しいところですね」と、繰り返している。
じゃぁ1点欲しくないシーンはいつですか?と問いただしてやりたい。
そんなことを考えて甲子園をみつめながら、フェンダージャパンのテレキャスターを抱えて、数年来ちっとも成長しない"Johnny B. Goode"を練習していたわけだけど、いつもと同じ個所で運指がうまく行かずに、いらいらしながらガチャガチャかき回していた時だった。

 

そういえば僕も中学校の頃は野球をやっていたけれど、万年補欠でラッキーマンのスーパースターマン状態だったし、練習ではそれなりに打って走って守って投げることができるのに、試合では極度の緊張から何もできなかった。覚えている限り、中学3年間の通算成績は1安打1盗塁3エラーだ。
打席に立ちたくなかったし、守れば打球は飛んできてほしくない、そういう状態だった。
勿論試合に出るのも楽しくないし、小学生から続けてきたやつがうまいのは当然だし試合にも出やすい。試合に出れば上達するもんだから、僕がへたくそなのはしょうがない。と都合のいい免罪符をあたえて練習を避けていた。
だから、野球をやるのは大嫌いなのだ。

 

ここまで思い出したところで両手に抱えたギターを置いて、外に出ることにした。
別段行くあてなどないのだが、普段車で県境をまたげない北海道に住んでいることもあって、なんとなしに、岩手→秋田→山形→宮城とドライブに出たのだ。
AM891のNHK第1ラジオからは、四国では雨が降らずに早明浦ダムの貯水量が減っているとのニュースが流れてくる。5年前も早明浦ダムでの渇水が騒がれ、自転車で日本縦断している僕が四国についた瞬間に大雨が降ったことを思い出した。
いっそこのまま四国まで走れば・・・なんて考えなかったわけでもないけれど、かかるガソリン代と時間と労力を考えたところで、考えることをやめた。

 

車は順調にタイヤを転がす。

 

地図に縛られずにそこかしこを縦横無尽に走るのは楽しかった。
4号線から岩手県に入り、一関を抜けて厳美渓を横に栗駒山を上ったら、秋田県
秋田県から山形県へとダラダラ走る。
山形県から宮城に入るころには、西側に見える電柱や建物は色や質感を奪われ、落とした影は細長く形をつくった。

 

よくわからない山道に迷い込んだ時に、猛烈な尿意を催して進退窮まる。
まったくコーヒーという飲み物は、予兆なく強烈な尿意を以て襲い掛かってくる。
これは立ちしょんするしかないと判断し、路肩に限界まで車を寄せて、地に足をつけた。
ズボンのチャックをおろしつつ助手席側に回り込んだ瞬間、ものすごい音を立てて周囲を蠢く何者かに気付き、車内に駆け戻った。
おびただしい数のアブに囲まれていたのだ。
猛暑に滲む汗と、恐怖に湧き出た冷や汗と、決壊しそうな膀胱を危惧する脂汗とを拭う。
窓に体当たりをする際に鳴るカチカチという音を前後左右から聴きながら、次の立ちしょんスポットを求めて慌ててアクセルを踏んだ。
1kmほど走ったところで路肩に十分な幅のある場所を見つけ、再度車を降りると、ここにもアブが大量にいた。
こうして5,6度車を止めたもののいずれの場所においてもカチカチという不吉な音は止むことを知らず、仕方なしに携帯のマップを開いて最寄りの集落を探すが、前後10km近くは山、山、山。
先ほどまでコーヒーが入っていたコンビニの透明のカップを手に取り、お前のせいだぞ、とつぶやいてチャックを下す。
煽り建てるように増していくカチカチ音を聴きながら、カップに放尿を始めた。

 

溢れた。
溢れたことにビビッてこぼした。

カチカチカチカチ・・・カチカチカチ・・・



皆さん何を言っているのかわからないでしょうね。
僕もよくわかんないんで大丈夫です。

 

そして書くことに飽きたので今日はこれでお結びです。

 

僕のやる気もバチンッと音を立ててはじけた。(PCを閉じる音)
 
IMG_3671
秋田県にてセルフタイマーで撮影。ごきげんよう

葬式って楽しいよな

昨年末、父方の祖母が急逝した。
齢93。
施設にいた祖母が定期検診に訪れた病院での、誤嚥性肺炎肺炎によるものだった。
金曜日に危篤状態に陥り、日曜日の昼には亡くなった。
祖母は東京、僕は札幌のため死に目には会えなかった。

 

生前、ほぼ1年に1度の頻度で会っていたが、幼少期から

 

「あら~こうちゃん、大きくなったね~」

 

と、口癖のように言っていた。
近年はそれに加えて「まさたかに似ている」の文言があったが、僕は「まさたか」は一切知らない。

 

ばあちゃんはいいとこ生まれで相当なお嬢様だったせいか、料理がへたくそだった。
たまに遊びに行くと、デパートのお惣菜ばかりが並び、手料理を食べた記憶はほとんどない。
だから、ばあちゃんとの記憶は、デパートでのお買い物がほとんどである。



いつもニコニコしていて、料理がへたくそで、字が上手なばあちゃんが死んだ。



ばあちゃんのなかで僕はもう大きくならない。



葬式は質素なもので、家族葬だった。
とても仲の悪い父方の親戚一同が久々の面会に、上辺だけの挨拶を交わし、近況を報告している。
まもなく白くて冷たくなったばあちゃんの棺の箱は閉じられ、火葬場に送られる。
頬に紅を差し、眉墨をひき、口紅を塗ったばあちゃんはきれいだった。
火葬場の前で口々に最後のお別れを告げる。
痴呆がはじまったアル中の爺さんは、手を合わせて

 

「長い旅立ちだけど、気を付けていってな」

 

と声を震わせた。

 

生前、あんなに仲が悪かったのに。
ばあちゃんは爺さんの勝手なふるまいが怖くて、心配で、本当に大変だったんだから。
(聞けば大恋愛だったらしいけど、老後のじいちゃんからはみじんも感じれなかった。)

 

涙が一杯に出てきた。
家が遠いことから、あまり遊んだ記憶はないけれど、それでももう一生
「あら~こうちゃん、大きくなったね~」が聴けないとなると、
たまらなく悲しくなった。
ほどなくして焼きあがったおばあちゃんは小さな骨壺に入るサイズになってしまった。
これでもうおばあちゃんに会えることはない。

 

だけど、ばあちゃんのことは忘れない。
母方の祖父母が亡くなったときは、そういう思いからゲンガーとガラガラに祖父母の名前「俊次」と「静子」と名付けた。
これからMHWを始めようと思う僕は、オトモアイルーの名前に「修子」と名付けてやろうと思う。
麻痺とか一杯とってくれねぇかなぁ。

 

大切な人はいつ亡くなるかわかんないよね。
ばあちゃんは往生できた。
だけど、父は?母は?
実家に顔を出してやることは、やっぱり孝行であるし、思い出を更新することもできる。

 

「次はいつ帰ってくるかな?」

 

の母の問いに、

 

「爺さんの葬式で会おう」

 

と答えた。



怒られた。

 

おしまい。