愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

葬式って楽しいよな

昨年末、父方の祖母が急逝した。
齢93。
施設にいた祖母が定期検診に訪れた病院での、誤嚥性肺炎肺炎によるものだった。
金曜日に危篤状態に陥り、日曜日の昼には亡くなった。
祖母は東京、僕は札幌のため死に目には会えなかった。

 

生前、ほぼ1年に1度の頻度で会っていたが、幼少期から

 

「あら~こうちゃん、大きくなったね~」

 

と、口癖のように言っていた。
近年はそれに加えて「まさたかに似ている」の文言があったが、僕は「まさたか」は一切知らない。

 

ばあちゃんはいいとこ生まれで相当なお嬢様だったせいか、料理がへたくそだった。
たまに遊びに行くと、デパートのお惣菜ばかりが並び、手料理を食べた記憶はほとんどない。
だから、ばあちゃんとの記憶は、デパートでのお買い物がほとんどである。



いつもニコニコしていて、料理がへたくそで、字が上手なばあちゃんが死んだ。



ばあちゃんのなかで僕はもう大きくならない。



葬式は質素なもので、家族葬だった。
とても仲の悪い父方の親戚一同が久々の面会に、上辺だけの挨拶を交わし、近況を報告している。
まもなく白くて冷たくなったばあちゃんの棺の箱は閉じられ、火葬場に送られる。
頬に紅を差し、眉墨をひき、口紅を塗ったばあちゃんはきれいだった。
火葬場の前で口々に最後のお別れを告げる。
痴呆がはじまったアル中の爺さんは、手を合わせて

 

「長い旅立ちだけど、気を付けていってな」

 

と声を震わせた。

 

生前、あんなに仲が悪かったのに。
ばあちゃんは爺さんの勝手なふるまいが怖くて、心配で、本当に大変だったんだから。
(聞けば大恋愛だったらしいけど、老後のじいちゃんからはみじんも感じれなかった。)

 

涙が一杯に出てきた。
家が遠いことから、あまり遊んだ記憶はないけれど、それでももう一生
「あら~こうちゃん、大きくなったね~」が聴けないとなると、
たまらなく悲しくなった。
ほどなくして焼きあがったおばあちゃんは小さな骨壺に入るサイズになってしまった。
これでもうおばあちゃんに会えることはない。

 

だけど、ばあちゃんのことは忘れない。
母方の祖父母が亡くなったときは、そういう思いからゲンガーとガラガラに祖父母の名前「俊次」と「静子」と名付けた。
これからMHWを始めようと思う僕は、オトモアイルーの名前に「修子」と名付けてやろうと思う。
麻痺とか一杯とってくれねぇかなぁ。

 

大切な人はいつ亡くなるかわかんないよね。
ばあちゃんは往生できた。
だけど、父は?母は?
実家に顔を出してやることは、やっぱり孝行であるし、思い出を更新することもできる。

 

「次はいつ帰ってくるかな?」

 

の母の問いに、

 

「爺さんの葬式で会おう」

 

と答えた。



怒られた。

 

おしまい。