愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

ことばの温度

昨日のNHKラジオの夏休みこども科学電話相談で、動物同士のコミュニケーションは異種間でも交わされることがあるが、人間は動物とのコミュニケーションが取れない。といった流れの後に「人間は言葉を持ってしまったが故に、コミュニケーションがへたくそになった」と小菅先生が言っていた。
曲がりなりにも文章を書いている僕にとって、痛い言葉だった。
それでも積極的に言葉を使用して、何かを伝えられたらいいな。なんて。
口下手なやつも、口が上手いやつもどうしたら言葉がリアルになるんだろうって思うよ。言葉の使い方って難しいよね。

推敲に推敲を重ねて洗練された感想文よりも、口をついて出た言葉の熱量には勝てない。
(下記に実例が書いてある)

 

正確無比な感情というのは発信側ですら純度100%になりえないのに、言葉の持つ温度と、ライブ感を失った文字を介しての表現では、心の隙間を捉えることができない。
ニーチェは「事実というものは存在しない。あるのは解釈だけだ。」といったそうだ。
咀嚼すんなよ。そのまま吐けよ。ったって、真実は読み手の解釈によって咀嚼される限り、幾ばくかの純度を失うもの。

 

あの日あの時あの場所で、あのライブを見た帰りに、口を開いた瞬間に零れた涙と、自発的に出た嗚咽交じりの「かっこよかった。」の純度に敵う文章を書きたいな、っていつも考えている。
 
あ、でも彼女にフラれるときの「僕は別れたくない」という感情の吐露もいつもすげぇ純度だわ。