愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

穴とヌキの交渉

穴というものは不思議なもので、いつだってドキドキさせてくれる。
中には往々にしてロマンがつまっているもので、穴の淵からはロマンがあふれて見える。
果たして穴の向こう側に何も存在しなかったとしても、穴という事物においてはそこに存在し続ける。
その穴という存在そのものが僕たちの心を満たしてくれる。

 

覗き穴があれば、覗きたくなる。
ほら穴があれば、立ち入ってみたくなる。
落とし穴があれば、だれかを落としてみたくなる。
穴場と言えば、立ち寄ってみたくなる。
大穴と知れば、買ってみたくなるよね。
ブラックホールはあらゆるものを飲み込むこの世で最大の穴。
愛しのあの娘のあらゆる穴はふさぎたくなるだろう。
脱獄映画の「穴」は、延々と穴を掘るだけなのに、ワクワクドキドキさせたでしょ。
(ショーシャンクよりよっぽどおもしろいぞ!)
君たちだってかつて砂場遊びをしていた時は、ただひたすらに穴を掘り続けたことがあっただろう。

 

この「穴」は往々にして「秘密」を抱えている。
誰も知らない君だけの秘め事。ばらしてはいけない秘密。誰かの知られたくない秘密。
ああ、「穴」の正体はロマンと秘密だったのか。



この「穴」は僕の青年期という意味での自我の芽生えに一役買ってくれたのだ。

 

「パンツの穴」をご存じだろうか。
ここでは、男性用パンツの前側の開きを示すものではない。
とある雑誌の読者投稿のコーナー名であり、その総集編とした書籍の名前である。
読者のちょっとエッチな体験の悲喜こもごもが多くの反響を生み、後に映画化もされているものである。
誰にも言えないちょっとエッチな秘密。
僕の心の恥部はまさにこのパンツの穴に潜んでいた。

 

これをわが家の本棚で見つけて手に取ったのは小学校五年生の林少年だった。
ピンクと白の背表紙。表紙には、背中を向けた女の子がやや前かがみになり、パンツの腰部分に左右の手の親指をかけている絵が描かれている。
まだ蒙古斑の跡が残り、朝立ちをもってどうどうと「富士山!!」と主張し、ニキビも知らず、どうどうと口呼吸を繰り返していた僕にはあまりにも刺激的であり、僕に精通のなんたるかを教えてくれるには十分だった。
当時はこれをおかずに、朝から晩までちんちんを触り続けたものである。

 

とある女の子の投稿が記憶に残っている。
高校生である女の子が、自転車での下校中にチェーンがはずれ、困り果てていたところを助けてくれたというおじさんにそのまま身体を触られてしまい、すごく興奮した。
といったものである。無論、犯罪行為であり社会的倫理観とは乖離したものではあることは承知しているが、どうしようもないエクスタシーに導いてくれた。
僕はこの文字ひとつひとつを穴が開くほど読み返し、文字通り穴をあけた。
こともあろう、正しい自慰行為をしらなかった少年はちんちんを当該ページで挟み込み、上下にこすり続けたのである。
穴が開いたその日、林少年はちぎれたページを片手に、悲しみに暮れながらやはり自慰行為にふけるのであった。
あの本はわが家にもうない。
あの日の僕のとがった感情は見事に「パンツの穴」にフィットした。

 

いつか、BOOKOFFで、ページのちぎれた「パンツの穴」を見つけた日には、顔も知らない誰かの、あるいは僕の、在りし日のこじれた感情を受け入れてくれた穴なのである。

 

fin