愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

我が肛門という名の不落城

別に僕はゲイじゃない、肛門が好きなだけだ。

 

そりゃあ小学生のころ友達とちんちんを触りあったりしたし、
中学校の頃はクニ(僕はクンニとよんでいた)という男の子に「靴下を売って」「ちんちんの写メを頂戴」「学ランの第2ボタンを頂戴」などと言い寄られていたこともあった。
それでも僕の大事な菊門は未だに出る一方であり入った者は誰もいない、難攻不落の函谷関のようなものである。
史実から行けばいずれ函谷関は落城するのだが、僕の菊門に限っては果たしてその行く末は僕にだってわからない。

 

僕の肛門周りはうっすらと湿っている。
真夏の熱帯夜のようなじっとりとした湿気を保ち続けているのだ。
この湿気はどこから湧いてくるものかはわからない。
こんもりと小丘のように盛り上がった括約筋にうっすらと生えるしとしとの毛ケ。
刻み込まれた皺は悠久の時を感じさせ、そこには小川が流れる。
まさしくアマゾンである。熱帯雨林気候だ。



僕の兄はこの肛門を宇宙に例えた(1994年)。
僕がそれに何の興味を抱いていなかったころ、ホームビデオの中の兄(当時7歳)は母(当時38歳)のまわすカメラに向けておもむろに尻の穴を両の手で広げた。否、拡げた。
言うが早いか拡げるが早いか、兄は言った。

 

「見てみて、宇宙!」

 

僕は全の身、略して全身の毛が逆立った。
若干7歳にして己の菊門に宇宙を見出したのだ。
僕には理解することができなかった(未だに理解ができない)。
ただその漠然とした概念というか、感覚、本能的な部分でビビってしまったのだった。
これは哲学だろうか、科学、物理、地理、数学、いや、そのどれでもなかった。
かつてフェルマーがこの問題に挑んだと聞いた。
ノイマンはパソコンで難解なプログラミングを組んだ。
アインシュタインの有名な舌を出した写真は、

 

うんこもれそうなので終わりにします。また。