愛想笑い教育講座

諸事情によりブログ名変更。23歳Gカップの美女だと思って読んでください

エネマグラを通してみた光

東京に引っ越して3ヶ月。北風の思いの外寒いことや、終電が札幌市内と同じくらいの時間であること、コンビニの店員に外国人が多いことにももう慣れた。

天気がいいと富士山が見える。瓦屋根の一軒家が立ち並び、軒先にはベンツやBMWが立ち並ぶ。軽自動車は商用車以外走らない。

星が見える。星を見ると未だに茜色の夕日が流れる。他の誰でもない僕だけの東京だけど、フジファブリックの茜色の夕日だけは僕の東京に流れ込んでくる。

それは例えば鼻先を仰ぐ柔らかい光や、夕凪に飲まれて質感を失った電柱や、指先で削るアイスの霜を見た時に、僕は札幌を思い出す。

もう一度生きるにしても同じ瞬間に出会いたい。つらかったことも確かにあったけど、思い出にしてしまえばそれさえも輝く。

思えば思うほど形のない過去として置いておくことが惜しくなり、大切であればあるほど、どんな既存の言葉もそれに当て嵌めるにふさわしくないと思う。

あの日々のおかげで言える。たとえこの先いいことが何一つなかったとしても、僕の人生は最低最悪にはなり得ない。

季節が来るたびに思い出そう。喉が渇いて飲んだ水の中に、降り積もる雪の中に、あの日々が存在し続ける。

 

 

2023年12月28日の夕方。僕は札幌の友人の家にいた。セネガルで働く日本人の友達と、日本で働くハンガリー人の友達、滝川で働く包茎の友達、そして家主と僕。年末ということもあり、古い付き合いの友人たちが一堂に会することになったのだ。

 

この家に来る前、家主は電話で「ドンキホーテエネマグラを三つ買ってくるように」と僕に命じた。「?」を浮かべる僕に、「大丈夫。ローションはあるから」と伝えてくれた。ああ、僕はこの人の会話のできないところが好きだったんだよな、と思い出し、直径3cmのシリコン製エネマグラを2つ買った。ドンキホーテの18禁コーナーには男子大学生のようなグループがおり、何者かと通話しながらエネマグラを吟味する僕を見て見ぬ振りしていた。会計を済ませ、袋いらないすとSDGsに貢献し、買いたてのエネマグラをタイトなジーンズにねじ込んだのだった。

 

僕たちは皆30歳を超えてしばらく経つが、エスカレートする若者そのものだった。酒を煽り、興が乗ってきた頃に、ポーカーを始めた。金がないから賭けられるものは身体しかない、と言うのは僕だけだったのかもしれないが、無い袖は振れない。賭けを成立させるために、皆でアナルを賭けることにしたのだった。饒舌な僕たちも、無言で札を切り、無言でチップを積んだ。緊張感にゾクゾクしていた気もする。

30分もせずに僕がチップを失い、二番目にセネガルが負けた。セネガルは真面目な人間なので、大層嫌がっていたが、笑顔だった。

僕は矢庭にズボンを下ろし、四つん這いになる。家主が持ってきたローションをアナルに垂らし、そのひんやりとした感覚に「ひえ」と小さく声を漏らす。「早く早く」と叫ぶ僕の声には、恥ずかしさの他に早く新しい扉をあけたいと願う気持ちが滲んでいたと思う。そしてハンガリー人に大和魂を見せるよき機会だとも思っていた。ノンケで、尻穴の綺麗な僕たちだから、これは歴史的な瞬間だぞと、ドキュメンタリーを撮ることを滝川に依頼するのだが、ジャックダニエルの小瓶を早々に飲み干し、飲み会が始まって1時間も経たずにヘベレケになった滝川人には日本語が通じなかったようだった。彼はそばにあったシリンジで僕の体を執拗につつき回し、本当の「嫌」を「嫌よ嫌よも好きのうち」と捉えているようで、キャバクラで働く女の子の気持ちがよくわかった。ただしこいつは太客でもなんでもない、チンポの細く短い、どうしようもない泥人形だった。

セネガルは尻穴口で、エネマグラをコネくりまわし、2、3度上下に往復させたのちに力を込めて押し込んだ。

 

母さん、行って参ります。

 

そう言い残した僕は、入った瞬間に地べたに突っ伏した。暖房の入っていない床が僕の体温を奪っていくが、ただ一箇所だけはひどく熱くなっていた。

不思議な感覚だった。入りあぐねていたエネマグラも、先端が少しだけ入ったところで一気に飲み込んでいくのが理解できた。セネガルも力を入れたのは最初だけだと述べていた。直径3cmのエネマグラを入れ込んだ僕の尻穴からは、ストッパーだけが惨めに顔を出していて、僕自身はショックでうつ伏せの状態から動くことができなかった。気持ちいいという感覚はなかった。ただ、不快感が尻穴の周りにじんわりとまとわりついていた。

エネマグラを複数買ったということはそういうことで、次のゲームでは家主が早々にオールインし、飛んだ。これにはセネガルが嫌がっていたこと、来日1年目の品行方正なハンガリー人のそういう姿を見たくなかったこと、滝川の使い物にならないことが由来していると思うが、何よりも家主はずっと自分の尻穴の力を試してみたかったようだった。

家主はエネマグラ入れ子としてセネガルを指名し、ちんぐりがえしの姿勢になる。ははん、その手もあったかと内心納得しながら、動画を回し続ける。セネガルの手つきは手慣れたもので、シリコンのエネマグラは、ぬるりと尻穴の奥に隠れた。

家主は、感動して泣いていたようにも思う。若くして買った自慢の一軒家にて、初めてのエネマグラが入ったのである。当然だろう。

 

物語はこれでは終わらなかった。

僕らは男としての強さを確かめたかった。それにはチンチンの大きさなどという古来からの計りではなく、尻穴の強さという新しい計りで確かめる必要があった。なにしろチンチンの大きさでは僕が圧勝である。

入れ子セネガルが、双方の尻穴から僅かに出たくびれにスズランテープを結んだ。これで死ぬも生きるも一蓮托生である。僕らは共に外に出て、一服し、ルールを確認しあったが、単純明快すぎてタバコに火をつける前に打ち合わせは終わっていた。

簡単である、双方が反対向きに四つん這いになり、よーいどんの合図で頭の方向にハイハイする。先に抜けた方が負け。

僕らは尻のほっぺをくっつけ、スタンバイした。十年来の親友の尻の柔らかいことを初めて知った。

 

よーい、どん

 

セネガルがよーいどんと手刀で作った軍配を天に向ける。

僕たちは四つん這いのまま前に歩んだ。ノロマと言われても構わない。兎と亀では愚直に突き進んだ亀が勝ったんだ。そう思いながら前へ前へと歩みを進めた。

 

アッ!!!!

 

刹那、チカっと目の前に閃光が走る。尻穴に僅かな違和感を残し、エネマグラが抜けたのだった。床に転がった半透明のエネマグラは、ぬらりと光ってこちらを見つめていた。空になった僕の尻穴をエネマグラが嘲笑っていた。そうか、負けたのか。

負けたことに気づいた僕は、慌ててエネマグラを拾って尻穴に突っ込んだ。尻穴もエネマグラの形を覚えていたみたいだった。労せずして入れ込むことができた。

「頼むもう一回」とエネマグラを突っ込んだまま土下座する僕に、立ったまま「いいよ」と答える家主。愚直さだけが男ではない。もう昭和は終わり、平成を跨いで令和なのだ。策を弄し、それで勝とうと考えたのだった。

再びスタートラインに四つん這う僕たち。よーいどんの声をかけるセネガル。ひいているハンガリー。潰れた滝川。

 

とにかく粘って相手が無防備になったところにカウンターを決めようと思った。先程と同じように歩みを進めるが、尻穴に張力を感じた時に、グッと尻に力を入れて歩みを止めた。家主は変わらず進もうとするが、攻撃ばかりでは守りが疎かになることは、どのスポーツでも共通だろう。錨のようにその場に留まる僕。カウンターを食らって面食らう家主。

尻穴に感じるテンションが緩み、家主が後退してくることを感じた僕は更に前進し、もう一撃当てるつもりだった。しかし、その瞬間家主は再び前進を始めた。

クロスカウンターだった。

前進同士では分が悪いことは自明だった。床に転がる僕の一部を切なく見つめた。力でも頭でも負けた瞬間だった。

 

落ち込みながらエネマグラを洗う。そこに家主が自分のエネマグラを持って来た。

家主のエネマグラにはうんこのカスが付着していた。

負けたのが僕で良かったなと思う。

 

 

 

 

 

供養

 文フリに出すつもりで書いたけど、メチャクチャすぎて出せなかったボツ原稿を供養します。成仏しますように。

 

 

 

 街角に浮かぶ立ち飲み屋のレバ刺し。いや、 よく見るとそれは赤黒く艶めいた亀頭であり、 ヌラヌラとネオンを反射させていた。
 
 ある年の瀬、すすきのにて。
 そこかしこを人々が往来し、 すれ違う者皆が酒の匂いを纏っている。


 寒風吹き荒ぶ中ネオン街へと歩みを進めると、 ビルとビルの隙間に外套を纏った男を視界の端に捉えた。 男は何やら意味ありげに体を揺らしている。 ふと彼の股間を見遣れば、デカめ(ここで言う「デカめ」 とは世間一般で言うデカめであり、主観を混ぜて表現するならば、 「小さめ」となるのだが)のおちんちんもまた、 男の動きに同調して揺れていた。 厳冬期の札幌でも立派にいきり勃つそれは、雪にも負けず、 風にも負けず、冬の寒さにも負けぬ丈夫なイチモツだった。 僕と友人たち3人は静かに合掌をして立ち去ったが、 あれはどうも失敗だったようだ。
 露出狂とは女性相手に限定したタイプの他、相手を問わない、 露出している自分に興奮するタイプがあるらしい。 そしてどちらのタイプも、嫌悪感を顕にされるにしろ、 罵倒されるにしろ、反応を示される事自体が興奮につながるため、 無視をするのが一番いいのだと後から知った。


 彼の行動は、許されざる行為だと思う。 決して擁護することのできない、卑劣で、 エゴに塗れた犯罪行為である。しかし、 持って生まれた特殊な欲は、日常生活ではどうにも消化できず、 夜のネオン街で外套の隙間から覗かせることでしか満たされない類 のものであることも事実だろう。 僕が松本いちかのAVでオナニーした時の満足感を、 彼は露出することでしか獲得することができないのだ。 きっと彼だって日中は、Yシャツにネクタイと、背広と、 それから少々の社会性なんぞを着込んでいて、 発酵した欲をその内側に仕舞い込んでいるのだろう。類を問わず、 性的な欲求は万人が抱えており、それを支えるのが嗜好である。 あらゆる欲は平等に満たされる方がいいと思う。 だから露出狂の行為は憎むが、その嗜好は認め、 ぎゅっと抱きしめてあげたいなと思う。それに、 僕たちだって後天的に同種の嗜好に目覚めるかもしれない。

 


 僕たちは皆、少なからず性的嗜好というものを抱えている。
 辞書的な意味合いとは違うのだろうが、俗に言う「性癖」 というやつだ。
 それは例えば、プレイの方法だったり、 相手の年齢や体型だったり、シチュエーションだったりと、 性癖としての対象は多岐に及ぶ。 先述した露出もまた性癖の一つである。
 世の中には「NTR(寝取り、寝取られ)」 という類の性癖がある。しかし十把一絡げに「NTR」 と言っても、実はこの3文字は大木の幹に過ぎず、 その地中では細分化されたNTR性癖が根が張って大木を支えてい るのだ。少し掘り返してみるだけで、「寝取り」と「寝取られ」 の区別はもちろんだが、「寝取られ」にしても「寝取られマゾ」 と「寝取られサド」の2種類があり、そこから更に「 カップル奴隷」や「完堕ち」などといった、 凡そ一般的には理解の追いつかぬ単語に行き着く事になる。 そしてそれらの細分化された性癖をいくつも掛け持つため、 僕たちは皆千差万別でいられるのである。これは極端な例だが、 AV男優のしみけんは好みのタイプが「デブ」「ブス」「ババア」 だと公言し、勃起促進のための触媒として「 他人のワキガのニオイが染み付いたマスク」 を持ち歩いているらしい。 どんな種類のAVでも最低2千本は売れると聞いたこともあるから 、 日本国内のワキガ好きの男性もきっと千九百九十九人以上はいるの だろうが、 デブでブスでワキガのババアを好むのはこの世にしみけん一人なの だと思う。


 性癖を自認するのには時間がかかった。それまでは、 ずっと自分探しをしていたように思える。
 小学5年生の時、 学校のウサギ小屋の前で男の子数人とオチンチンの触り合いをした 。確かに勃起していた記憶はあるが、 それは物理的刺激であり性的興奮ではなかっただろう。
 高校3年生の時、部室に貼ってあったリア・ ディゾンのグラビアポスターを電球に透かし、 ポスターの上にぶちまけてみた。 拭き取った部分の印刷が白く剥げ、 誰かにバレたらどうしようとひどく後悔した。
 大学1年生の時、2ちゃんねるで知り合った男性が「 5千円でしゃぶらせてくれ」と言うので承諾した。しかし、 当日になって怖くてドタキャンした。
 同じく大学1年生の時、団鬼六の日活ロマンポルノを観たり、「 老婆の休日〜3人で200歳〜」というAVを観たりしたが、 勃起しなかった。
 結局僕は、男性もダメだし、ぶっかけもダメだし、緊縛も、 熟女も興奮しなかったということがわかった。柚木ティナも、 紋舞らんも、シコるには足るといった具合であり、 考えただけでパンツを湿らせるような、 決定的な刺激にはなり得なかった。
 だけど、大学2年生の時、当時付き合っていた彼女から「 同じゼミの男の子とキスしちゃった」と言われた時は、 怒髪もオチンチンも天を突いた。その後も、 一般的には聞きたくもないであろうことを仔細に聴取する自分が異 常に感じられたが、間違いなく性的興奮だった。 NTRこそが僕のガンジス川だったのだ。それ以来、 寝取られこそ叶わぬ夢であるものの、 表裏一体である関係の寝取りに精を出して欲を満たしていた。 これは社会的道義に背く行為ではあるが、ルールは犯していない。 なぜならば、彼氏持ちの女性と寝ることはあれど、 既婚の女性に手を出したことはないからだ。


 きっと自分の性癖に当惑する人も多いだろう。「 みんな違ってみんないい」とは金子みすゞの言葉であるが、 当惑する君たちにこそ、 ポンポンと肩を叩いたのちに耳元でこの言葉を囁いてあげたいと思 う。そしてそれは痴漢や露出、 ネクロフィリアなどといった犯罪的な性癖に関してだって同様の感 情である。無論、犯罪を肯定しているわけではない。大事なのは、 それらの特殊性癖との付き合い方である。
 彼らはきっと、先天的に、 あるいは幼少期の家庭環境によって後天的に特殊性癖を抱えている のだろうが、少なくとも僕たちの育った日本では、 このような特殊性癖との上手な付き合い方について教育されること はない。彼らが犯罪に走らぬように、 芽が小さいうちに摘み取ってあげたり、 花が咲かない方法を模索しなければならない。 道徳で説くと言う方法はよくない。犯罪に走るものの中には、 社会的道義に背いている背徳心が生む快楽と理性の狭間に溺れてい るケースもあるだろうからだ。欲望に抗う術を、 欲望を摘み取る術を知っておかなければならない。とにかく、 ルールを犯さないという礎の上にあれば、 どんな性癖だって肯定してあげたいと思う。


 昨今、ダイバーシティという言葉を耳にするようになった。 同調とか村社会とか、そういう言葉から解き放たれ、 個人を尊重しようという潮流が生まれてきた。また、 SNSの発展によって、 パーソナルな情報も匿名のまま後悔することができるようになった 。「NTR」という言葉が生まれ、 流行りの性癖として扱われるようになったのも、 世間の行為った潮目の変化によるものだろう。
 おそらくNTR自体は元々ポピュラーな性癖であり、 古くから一定人数に内在していたものなのであろうが、「 他人とパートナーが(他人のパートナーと) 枕を交わすことで興奮する」という社会通念上の異常性により、 隠匿してきたのだと思う。谷崎潤一郎の『痴人の愛』 が名著であると言われるのは、文章の妙もさることながら、 この辺りの背景も起因しているはずだ。


 食欲、睡眠欲と並んで、三大欲求として謳われるのが性欲であり、 その性欲を満たすための性癖が否定されるものであってはならない 。まず隣人の性癖を認め、手を取り合おう。 そして共にオーガズムを迎えることでユートピアを目指すのだ。 人類80億人が同時に賢者タイムとなれば、 その時ばかりは怒声が止み、銃声が止み、 木々のさざめきと鳥の囀りが聞こえるだろう。 これこそが賢者タイムズと呼ばれる革命の第一歩なのではないだろ うか。

中標津に来ている

仕事の都合で中標津に来ている。
今では道東道も釧路まで延伸し、札幌から車で7時間もあれば行けるようになった。
田中角栄日本列島改造論に感謝している。
僕が北海道に来た当初は10時間以上かかっていたから。

他府県民には同一県内を7時間かけて移動することなんぞ信じられぬことだろう。
あっても離島に行くために、フェリーや飛行機に乗るとか、八王子に行くとか、そういう特殊な事情だろう。

そういう事情での勝負が許されるのであれば、こういうのはどうだろうか。
本島オホーツク沿岸まで移動し、漁船持ちの懐寂しい漁師を見つけ、離島まで航海し、謎の出入国手続きを行う。
これであれば丸一日はかかる。運悪く漁船航行中にロシアに拿捕されてしまうと、オマケで1週間の追加。
え?北方四島はロシアの実行支配下にあるし、ロシアの領土だって?
バカ言えよ、北方領土は日本固有の領土だろ?北方領土エリカちゃんもそう言っているピィ。

 

オホーツク沿岸の町に来ると「返せ!北方領土」の看板を頻繁に目にする。中標津とて例外ではない。


余談ではあるが、大学時代に関西弁の流暢な中国人の同期がいた。
大学時代といえば十数年前のことで、当時は尖閣諸島の問題がテレビでも取沙汰されていた。
そんな中、居酒屋「一ッ時」にて酒が進むと彼はいつも「尖閣諸島は中国の物やで!」と豪語していたのだ。
しかし彼は酒が強くなかった。
酒に飲まれて潰れた彼の顔や尻に、女将のチアキから借りた極太油性マッキーで「尖閣諸島は日本固有の領土です」と落書きをし、黙って家に帰した。
今年はどうやら日中国交正常化50周年らしいが、真の意味での日中国交の正常化はまだ道半ばなのであろう。

閑話休題

中標津の町は牛の臭いが充満している。
雨上がりであればそれはいくらかマシになるものの、町全体が牧場のあの芳醇な香りに包まれているのだ。
それもそのはず、人より牛が多いと言われる同市は、人口2万3千人に対し乳牛が4万頭いるらしい。
なるほど、ともすれば乳首の数は牛だけで16万本になる訳だ。
水道を捻った時、愛媛ではポンジュースが出ると言われ、千葉県野田市では醤油が出ると言われている。
これはもしかして、牛の乳首を捻り上げると牛乳が出るのではないだろうか。
はっはぁ~ん。

このことから、ある程度の人口ではあるものの田舎町なのは想像に難くないだろう。
広大な土地を有し、遠くには知床連山や斜里岳を望める自然たっぷりな町である。
昨日、車で5分の道中でタンチョウを見ることができた。
一時期は絶滅したとまで言われ、2021年現在においても国内に1500羽しかいないとされているタンチョウを道路脇に眺めることができるのは紛れもなく同市の魅力だろう。
しかし、酪農従事者や農場従事者に言わせてみると、害鳥としての側面も持つらしい。
曰く、トウキビやソバの食害、牛舎への侵入による家畜のストレス増大、感染症の媒介など、想定される被害も少なくないようだ。
いち観測者からすれば幸運な出会いだろうが、特別天然記念物に指定されている以上無碍にはできない第一次産業就労者にしてみれば、身近に見るほど生息数の増加や被害の増大を想定させるものになるだろう。

僕はバカなので、このブログのオチをなんとかつけようと頭を捻って「タンチョウ 乳首 本数」と調べたが、当然鳥類であるタンチョウは乳首を有するはずもなく、出てきたのは"ラッコの乳首は後ろ脚の近くに2本ある"という明日使えぬ無駄知識だけだった。
どうぞ、オチのつかぬこんな記事を執筆した僕の乳首を捻り上げてください。
喘ぎ声くらいは出して見せますから。

 

 

余談だけど、文フリで本出すよ

 

供養

これは文フリに寄稿するつもりで書いた没原稿である。

 

 

ネット環境が充実し、SNSというものが生まれた影響で、手の届かない他人の人生について触れることができるようになった。
更にコロナウィルスの蔓延によって映画やドラマなどの巣ごもり需要が増えたこともあり、無意識的に他人と自分を比較することで、自分という存在に向き合う機会が増えているようにも思える。
自分が何者なのかと提起する映画作品や、小説、漫画が増えているのも少なからずこの影響だろう。
しかしながら自分が何者であるかという問いに、絶望する答えを導き出してしまう人も少なくないだろう。
「自分は何者でもないのではないか。」
赤の他人と自分を並列に並べ、俯瞰して比較する事になんの意味があろうか。
SNSの向こう側のアーティストや芸能人達は、何者であるかと言う問に確固たる答えを持った尊大な人間にみえるし、自分がなんたる小さい人間であろうかと錯覚させることもあるだろうが、その実尊大に見える人間達にしても血肉の通った人間であり、彼らもまた自分が何者であるかと言う問いを持っていることだって少なからずあるのだ。
僕たちが何者でもない限り、何者にだってなれる可能性が残されている。


学生時代、某屋内型アミューズメント施設で夜勤のアルバイトをしていた。
終電を逃した人やヤンキーなどの行き場を無くした夜行性の生き物達が、真夜中の桃源郷として施設を利用していた。
施設内にあるカラオケボックスに脱ぎたてのコンドームを散らかしていったり、所定の場所以外での喫煙、ゴミのポイ捨てや酒の飲み過ぎによる嘔吐など、看過できないルール違反も多く、多忙だった。
アルバイトをするという、如何にも社会性に富んだ行動をとりながらも、僕自身が社会に馴染み、これを笑顔で迎合することを拒むという二律背反に葛藤を抱えていたがために、仏頂面での接客を繰り返して客に胸ぐらを掴まれるといったこともあった。
やがて太陽の白い粉が降り注ぐ時間帯ともなると、新規の客は入場してこないし、利用者もマッサージチェアで眠ったりと嘘のように静かになり、フロントでの仕事は減っていく。
そう言う時僕は決まって、バンドをやってる友達と店内の有線ラジオのスイッチを切り、爆音で「ゆらゆら帝国」の音楽を流すのだった。
社員にバレれば怒られてしまうだろう。
中流家庭で育ち、高校で友達を作り、大学に進学をし、十把一絡げに語られるような何の特徴もない人生から脱却し、何か特別な発光体となりたかった。
果たして爆音で音楽を流すことが目的を果たせるかどうかは不明だったが、何者にもなれないと悩んでいた僕の小さな犯行であり、ささやかな反抗であった。
午前3時のファズギターは、空洞な僕を何者かであると錯覚させた。
それでも秘密基地での深夜の秘事は、いつか大人にバレて終わりを迎えるのが常である。
ある日、僕の犯行は終わりを迎えた。
流していた爆音が社員の耳に入ったようだったが、それでも怒られることがなかったのだ。
規律に反する行為を行うことで世間とは違う自分を自覚できていたのに、それを咎められなかったことが、僕自身が世間一般とは何らズレのない有象無象であるということを突き付けたのだった。
あの日僕の犯行が完遂していれば、別な人生を歩んでいたかもしれない(おそらく今より良くない方向だったに違いないが)。


2019年、大学を卒業すると同時に就職した会社を辞めた。
5年間勤めたその会社は激務で、繁忙期の徹夜などは特別なことではなかった。
社長は辞めようとする僕を止めようと躍起になってくれた。
「俺は一代でこの会社を築き上げた。最初は3人からスタートして、」と説得を始め、
「お前が辞めると言う話は部長から聞いた。俺が土下座してお前が辞めないと言うのであれば、俺は今この場で土下座する。」
「お前は将来会社を背負って立つ人間。だから海外で経験を積んでプロの技術者になって欲しい。プロの技術者はすごいぞ。プロだからな!!」
と、広角に泡のようなものを溜めながら説得してくれたのだが、結果的にこれらの言葉が僕の退職への決意を後押ししてくれる形になったのだから、今では感謝すらしている。


退職直前の某日にテレビをつけると、アリ博士がアマゾンに生息するアリについて解説していた。
どうやらそのアリは働き蟻たちが身を挺してトンネルとなり、道を作るらしい。
同居人のスガワラは、はぁ、ほぅと時折うなずきながらテレビを見ていたかと思うと、突如口を開いた。
「アリイカじゃん」
「え?」
意味がわからない訳ではなかった。
言葉の意味するところの如何を問うている訳ではなく、聞き間違いを信じたかっただけなのだ。頼む。頼む。拳を握って祈った。
「いや、だから、アリイカ。あなたは蟻以下。」
「へぇ」
言葉が出なかった。
同居人に蟻より下の存在だと言われたことがあるだろうか。
絶句するとはまさにこのことなのである。
「だって、蟻さんはこんなに頑張って働いているでしょ。それなのにあなたはこれから退職し、日がな一日家で寝転びながら酸素を二酸化炭素に変えるだけの存在になる。少しはアリさんを見習いなよ。」
「アリさんを?僕が?」
「うん、アリさんを。」
続いてテレビには軍隊蟻が映る。
「入隊しなよ。」
インターンとかあるかな?」
「・・・」
紛れもない地獄だった。僕は皿に残った麻婆豆腐を一気にかき込んで、無言であることの正当性を暗に主張した。


時は流れたが、変わらず無職である。
いや、正確に言えばとある土木設計会社でアルバイトとして雇われているフリーターではあるのだが、これはある種の見栄みたいなもので、「きちんと職を求めれば、正社員なんてすぐで即戦力なんだぜ」といったセルフハンディキャッピングなのだ。そうは言っても見栄というものも出てくるもので、過去2回の職務質問での「ご職業は?」に対し、「フリーランスで土木設計をしています。」などとのたまったりもする。他社からの業務委託で仕事をしたことなど、ここ3年間で1度や2度の話である。
社会の役に立っているかどうかもわからない。
直近で社会の役に立てていることといえば、賭け麻雀だろう。
賭け麻雀といっても、黒川元幹事長のような金を賭けた麻雀ではなく、賭けるものは己の血である。ひと月のトータルの成績で、一定以上の負けがこんだ人間が献血に向かう。僕が勝つたびに、はたまた誰かのアガリに振り込むたびに、世の中の血が足りない誰かへの貢献となるのだ。僕たちの懐は一切潤うことがないが、血は潤う。負けを重ねて頭に上った血も、献血をすることで社会貢献ができるし、同時に冷静になれると言うロジックだ。こんなに立派な社会貢献はない。
抜く血がなければヘアドネーションである。
僕は今、肩よりも下の長さまで伸びた髪を揺らしながら麻雀牌を触っている。
ここ3年間で立派な無職の顔つきになってきたとも思う。
この髪の毛が腰まで伸びた頃、再就職しようか。


一般的に言えば何者でもない人間なのであろう。
しかし僕は自分が何者かであることへの疑念を捨て、悠々自適に生活を送っている。


人間は贅沢な生き物で、どんなに小さな悩みも大きな悩みのように錯覚してしまう。例えその悩みが解決しようとも、今まで目に留めたこともなかった埋没した小さな悩みを掘り返して、あたかも自分の人生を左右するような大きな悩みとして槍玉にあげてしまうものだ。自分が何物なのかという疑義はその最たる例であり、悩みのないものの極地ではないだろうか。
つまり、皆何者かであったとしても自分は何者でもないと錯視しようとし、何者かであることに意味を持たせようとしてしまう。
果たして何者かであることはいいことなのだろうか。


正社員時代「将来の夢」と言うテーマで800字の作文を課されたことがある。
僕はその作文に「将来の夢はない。僕の将来はこの原稿の余白のように無色、何色にでも染まる無限の可能性があるのだ。」と、たった47字で結び、提出したことがある。
僕は何色にも染まれない”無職”透明の道を順調に歩んでいる。
未だもってアリイカなのだ。

依存・中毒の恐怖

こんにしわっす(こんにちは師走ですね。の意)
年の瀬に無職がお送りいたします。
まぁ無職と言いつつも実際のところフリーターなのですが、きっとこれはある種の見栄というか、
「職を求めてないからこの立場に甘んじているのであって、求めればバチコリ内定の即戦力だぜ」
的な、一種のセルフハンディキャッピングだろう。
要は、中学生の腹痛いから本気出せない、であるし、高校生のノーベンだわ、であるし、大学生の昨日寝てねぇからな、であるのだ。
僕の場合は女子の「イケメン苦手」に近いだろう。
彼女らはイケメンに相手にされないことを、「イケメン苦手」という言葉で自己正当化しているが、実際イケメンに色目を使われれば、
メロリンQで即座に排卵するわけだよ。
結局のところイケ〇ンには"まみむも"なんです。(目がねぇ)
やまだくぅん、オリモノシート一枚持ってきて!

イケメンが苦手な女子の皆さん、無職・ブス・包茎の僕と、正社員・イケメン・ズル剥けの男、どちらに抱かれたいです?
ほら、そういうことですよ。

でもね、ブスのほうが絶対セックスうまいですよね。
だってイケメンは顔が前戯になりますが、ブスはテクニックで前戯するしかないですもんね。
ブスでセックス下手な奴は残念でしたね^^


世の中にはね、やっちゃいけないことというのがありまして、それは例えば犯罪行為だったり、不倫だったり、
うつ病患者を松岡修造と一緒に密室に閉じ込めたりということだったりしますけども、

アナルにキンチョールをかけてはいけない

これ、知ってましたか?
確かに使用上の注意にはっきりと「人体用ではありませんので、人体には使用しないでください。」と書いてありますので、
お利口な皆さんにはわかるかと思います。
でも僕数年前にね、アナルにキンチョールを噴霧されたことがあるんですよ。
ノズルが付いたタイプでなくて、昔ながらの白い缶に金鳥ロゴマークがはいったやつですよ。
あれ、ノズルが付いたタイプだったらきっと注入されていたでしょうから、マジでどうにかなっていたでしょうね。
で、経緯といえば大して記憶しておりませんが、気づけば東川町のコテージで全裸、ちんぐり返しの姿勢になっていたかと思います。
きっと僕が害虫に見えたんでしょうね、まぁ僕のぬらぬらした黒いアスホールははゴキブリですし、匂いはカメムシですよ。
今は立派に教師を務めている友人が、にわかにキンチョールを手に取り、そのままアスホールめがけて噴霧ですよ。
悶えましたとも。立派に、ゴキブリ然として。
実際にはただの驚きと、冷たさという物理的刺激に、空を向いた尻をフリフリしただけですが、あたかも化学的に作用しちまっている!やばい!効いてる!といったかのように悶えたのです。
ええ、太宰の「人間失格」の葉蔵よろしく、道化としての役割を務めましたとも。
粘膜とはいえ、開拓地北海道における最後の未開拓地として残された我がアスホールは、皴と皴がしっかりと寄り添って固くファンデルワールス力を働かせていたし、
酒の力も手伝ってか、やめろやめろのお尻フリフリは"おすなおすな"であり、尻はしっかりと噴霧が終わるまで空に真一文字を書き続けたのでした。
しっかり事のやばさに気づいたのは、無性にアナルがかゆくなり目覚めた翌朝になってからでした。
あら、おかしいなと右手の中指でポリポリやってから、鼻に持っていけば嗅ぎなれたいつもの香り。
ふむ、異常なしと思いきやかゆみが治まらず、加えてポリポリの異様な気持ちよさにやめられないポリポリ。
結局止まぬかゆみと、度を越えた快楽に、ひもすがらポリポリを続けたのでした。
そして決定的に身体の不調を感じたのが、シャワーでした。
あの日僕は、前日のアナルキンチョールから一度も洗い流していないことを思い、いの一番にシャワーをアナルにあてると、口からはよだれ、ちんちんからは小便が出てきたのです。
紛うことなき快楽です。全身の力がヘロヘロと抜け、アナルから全身に強烈な快楽が広がるのです。
人体には7つのチャクラがあるといいますが、我が第1チャクラはアナルそのものだったのです。
その後の僕は時折「アヘァ」とか「ヒャァ」とか凡そエロ漫画でしか使用されることのないような、快楽にまみれた甘ったるい言葉を吐きながら身もだえし、
ただひたすらにシャワーをアナルに噴射し続けていました。
中毒です。依存です。その翌日も足しげく風呂場に通い、シャワーを当てていたことを昨日のことのように思い出します。

いいですか、世の中にはやってはいけないことがあります。

アナルにキンチョールをかけてはいけません。

あの注意書きはマジなのです。
禁忌を破れば、よだれをたらし、ションベンを漏らしながらアナルにシャワーをかけ続ける未来が訪れるでしょう。
僕は今目の前にキンチョールを持った人がいたら「かけてくれ」と言わない自信がありません。

そしてこの話は拡散しないでください。
さしずめ大阪府は西成あたりからはキンチョールが消えてしまうでしょう。
安く飛べる、安くキマる、最高のブツがコンビニで手に入ってしまうのですから。

今は師走。師も走り回るほど忙しいこの時期。
アナルキンチョールの危険性を教えてくれた、教師の友人、元気にしていますか?

 

 

心の解放区

Netflixにて「三島由紀夫VS東大全共闘」なるドキュメンタリーを見た。
今から50年以上も前に、東大900番教室にて極左の東大全共闘と極右の三島由紀夫が討論会を行った様子を記録した映画である。
「極右VS極左」「保守VS革新」と銘打ってもいいのだろうが、どうもそれは表向きの対立構造にすぎず、腹の中で互いのことをどう思っていたのかはわからない。(個人的感想)
実際、登壇した学生は敵対している(はずの)三島のことを「三島先生」と呼んでしまい、慌てて弁明していた。
一方の三島も学生の一部の行動については称賛していた。
そして結びにも学生の情熱を称え討論会を後にした。

三島は変革の継続性について強く説いた。
一方の東大全共闘側の芥は、解放区は時間を超越すると説いた。
皮肉にも三島はその一年後、クーデターののちに割腹自殺をやってのけ、芥は生きながらえている。

すさまじい熱気だった。
実際のところ、討論会の内容は半分も理解できていないであろう僕にでも、
侃侃諤諤の議論の熱に浮かされているような浮遊感を覚えた。

しかし、過去である。
あの熱気も、過去なのだ。


札幌市の銭湯がまた一つ、暖簾をおろした。
ここ数年で閉業した銭湯は僕の頭にあるだけでも5軒を数えた。
菊水湯、にしき湯、渥美湯、八軒のところの・・・、そして10月4日に閉業したさかえ湯だ。
60年間営業していたとは言え、改装を繰り返したようで、とても広くてきれいだった。
札幌の銭湯にしては珍しく、和柄の刺青が入った人も見たことがなかった。
隣の場外市場の仕事上がりにくる常連さんも多かったように見える。

忌野清志郎は「ラフィータフィー」で真夜中に心の解放区を見出した。
しかし、さかえ湯にくる多くの人にとって、この銭湯に充満する熱気こそが心の解放区だったのだ。

 

この銭湯も、過去になる。

 

10月2日、友達とさかえ湯に訪れた僕は、友達の息子に「はやしのちんちん変」と言われた。
僕は仮性包茎であるし、彼が見慣れているであろう彼の親父(僕の友達)のちんちんはズル剥けである。そこは認めよう。
しかし包茎が異質なものかどうかについては、議論の余地があるのではないだろうか。
僕が昔読んだR25というフリーペーパーには日本人の7割が仮性包茎であるとあった。
民主主義的に考えれば寧ろ仮性包茎こそマジョリティで、正しいのではないのだろうか。
ズル剥けが正しい、なる夢想主義者が唱えた怪しいまやかしに惑わされるべきでない。
仮性包茎である僕だって、仮性包茎のまま一つ上野男になる方法はいくらでもあるのだ。
だいたいだ、日本の文化として、"奥"だとか"間"だとかは大切にされてきただろう。
みんな和の心を忘れないでくれ。包茎は日本の心だ。
ズル剥け原理主義者たちは、僕の奥ゆかしいわびさびちんぽをみて一度考え直してほしい。
その結果としての「はやしのちんちん変」ならば、僕は「うるせぇよ」としか言えない。

 

うるせぇよ!!!!

 

パスカルとセロトニン

「今の幸せを手放すのが怖い」

 

助手席に座った友人はぽつりと呟いた。
どうやら薬が効いているらしい。
そしてこうも言った。

 

「今日は空が青くてきれいだな」

 

まずい、薬が効きすぎている。



彼は二児の父で、外では営業マンとして働いている。
長身で中肉の彼が背広なんぞを着込めば、表向きにはやり手の営業マンだろう。
実際、彼の仕事の風景を見ていると端々でそう感じることがある。
だがしかし、どうやらその背広っちゅうもんは同時に社会性そのものであるらしく、
ひとたび脱いでしまえば、その実パクチーのような癖の強さで、食えない人も多いだろう。
まぁでも人間誰しもそういうところがあるだろう。
ウルトラマンがウルトラでいられるのは、ウルトラマンスーツを着ているたった3分だけなのだ。

 

余談だが、僕は昔行った風俗で、「ウルトラマンみたい。3分で出たよ。」とケラケラ笑われたことがある。
人を笑顔にさせることって素敵だなーとイった後特有の、凪ぎた脳内で思考していたことを覚えている。

 

さて、そういうわけだから、パワースーツを脱いだ彼は大分ストレスでやられていたようで、心療内科通いを始めた。
セロトニンが出る薬』を処方してもらった後の彼は言葉少なであったし、大層穏やかで我々に優しく微笑みかけた。
しかし我々はそれを恐れた。
『悪魔の子』とも称された彼が他人に優しく微笑みかけるなど、あってはならないことなのだ。

 

「今の幸せを手放すのが怖い」
に対し、僕は
「怖いよ。本当に怖い」
と返したが、勘違いスンナ、同調ではない。
僕(ら)はお前を恐れている。
ヒメアノ~ルでも言っていたが、人間はどれだけ幸せでも小さな不幸せを探して生きていくものなんだ。
だからみんなどこかで不幸せなもんで、無自覚に幸せでいられるのは思考が足りないんだ!!
思考が取り柄のお前が!優しそうな眼をスンナ!

 

一緒に旅行に行ったときに、川べりで僕にションベンかけてきたあの時の、
一緒にキャンプに行ったときに、彼の子供の面倒を見ていた僕に対して「ありがとう、のどが渇いただろう」とお茶のペットボトルに入れたションベンを飲ませた時の、
一緒に美幌に行ったときに、友達の家のリビングでションベンしていた時の、
ウチの台所でションベンしていた時の、
元カノの家の押し入れでションベンしていた時の、
友達の実家の車をションベン洗車していた時の、
あの濁った汚い眼はどこいっちまったんだよ。
お前が空の青さを語らないでくれ。

 

どうやらセロトニンの出方が壊れていたらしいんだ。
躁鬱みたいなもんで、一般人と比べてセロトニン分泌の波の振幅が大きいようだった。
ションベンしているときにセロトニンを出し切った彼は、私生活の小さな喜びに分泌できるだけのセロトニンを残せないのだ。
これを薬で補うことで、身体に正しい分泌方法を覚えさせようって治療法らしい。

 

薬で思考が鈍くなった彼はそう教えてくれた。

 

「例えば、」

 

と続ける。

 

「例えば、これを投薬し続けるだろ。若しくはオーバードーズだよ。俺、思考が止まっちゃうと思うんだけど、どうなんの?」



「弱い一本の葦になるよ。」